ニューヨーク・コラムのために天神橋筋商店街の写真撮影を

済ませ、帰るとマンションロビーに内装屋さんが来ていた。

彼女とは以前言葉を交わしたのだがそのときのやりとりが

イマイチだったなあ、と思い出していたら朝の挨拶する

タイミングを逃した。仕方ないから通り過ぎたら、彼女、

施工に使う脚立を乱暴にドンドン、フロアに置いている。

あんなことしたら床に傷がつくのになあ、と思い哀しく

エレベーターホールで待っていたらモニター画面に映っている

人影がどう見てもこのマンションの人じゃない。どこかで見た・・・

と思っていたらエレベーターが着いて、ドアが開くとモスバーガーの

おばあちゃんスタッフだ。そうか、配達もやってくれるんだと思ったけど

違和感があった。

何も朝っぱらからモスバーガーを出前することないじゃないか。

おばあちゃんに運んでもらうこと、ないやん。

まあ、頼んだ人はまさかおばあちゃんが持ってくるとは思ってないだろうし、

おばあちゃんスタッフにとっても、配達の仕事が入ったら手当がもらえるのかも

しれない。

でもね。

何かおかしい。

ぼくの中のプリミティブな感性が、NOと言っている。

アメリカ系ネットショップが日本でのビジネスに対して税金を支払っていない

ことを最近知ったのだが、それに彼らなりの理屈をつけている。

「才子、才に溺れる」という言葉があるように、学校頭的アタマの良さでは

このように、「何か違う」という違和感を感じる感性というものが鈍ってしまう

のではないか。

稲盛和夫氏がおっしゃる「プリミティブな倫理観」というものは忘れてはならないし、

経営の根っこに絶対必要だ。

これほど勇気づけられる自伝はない!

これほど勇気づけられる自伝はない!

キユーピー創業者中島董一郎氏の半生記も収録されている貴重な書物

『中島董一郎 譜』(非売品)の中に、こんな文章がある。

「目先の損得にとらわれないで真面目に努力すれば、世の中では必らず

認められる」(原文ママ)

中島氏はその人柄の素晴らしさ、ものの考え方の高潔さで、この本は巻置く能わずの

面白さなのだけど、稲盛和夫氏といい、「道の真ん中を歩く」姿勢、学校頭が壊して

しまったんじゃないか?

屁理屈言うひまあったら、プリミティブな感性を養いなさいと言いたいね。

トイレ掃除するとかさ、マンション共用部分が汚れていたら掃除するとか、

郵便ポストの投げ込みチラシが床に散らばっていたら片付けるとか。

そういう「だれも見ていないし、何のトクになるのかわからない」

ことを黙々と実行することで、プリミティブな感性を養うことができる。

そう思う。