尊敬する美輪明宏先生が提唱されている有名な法則に「正負の法則」がある。
「宇宙には、絶対の法則があるのよ。それは正負の法則。
いいことがあれば、それと同じだけ悪いことが起こる。
逆もそう。たとえば、家を買ったとします。大きな買い物よね。
それだけのいいことが起こったら、同じだけ悪いことが起こるの。
一家離散とか、そういう悪いことが起こってしまうのよ」
たしかに思い当たるフシは多い。
ぼくの父親は事業で大成功し、家を買った(正)。
同じ時期に、オンナを作って、家を出て行き、両親は離婚した(負)。
たしかに正負の法則である。
しかしながら、これは、「離婚が悪いこと」というレッテルの上に成り立つ
議論である。
必ずしもそうとは言い切れない。
なぜなら、両親の離婚という事件が、いまのぼくを作っているから。
いまのぼくはいまのぼくに満足していて、それは、両親の離婚という
事件のもたらしてくれた栄養を滋養にして、これまで生きてきたから。
その成分のおかげで、いまのぼくがある。
すると、両親の離婚は、本人たちのホンネはわからないが、少なくともぼくにとっては
「正」な出来事だったのだ。
また、正負の法則は、「ねたみ」を溶かす効用もある。
だれか、自分よりうまくいっている人を見て、
「ああやってうまくいってるけど、実は台所は火の車かもしれないよ。
正負の法則だから・・・」
と、自分を「納得」させるときに使える。
しかしながら、自分がうらやましいと思う人に出会ったら、素直に「良かったね!」
「ぼくもああなりたいなあ!」と思ったほうが健康的じゃないかなあ。
正負の法則があるばっかりに、やらなくていい「ねたみ」の感情を生み出してしまう
のではないか?
「アイスクリームを食べたかったら、まず、ピーマンを食べなさい。
ピーマン食べたら、アイス食べていいよ」
というのも、実は正負の法則から成り立つ論理だ。
楽しいこと(正=アイスクリーム)を手に入れるためには
いやなこと(負=ピーマン)を食べないといけない。
この論理というか、常識は、何かいいことを生み出したのだろうか?
「嫌いなピーマンなんか食べなくていいから、アイスクリームを食べなさい、
好きなだけ、食べなさい」
の、どこがいけないのだろう。
たしかに正負の法則は存在する。
しかしながら、存在するからこそ、だからこそ、無視していいんじゃないか。
忘れてしまっていいんじゃないか?
具体的には、どうするか。
ぼくは「正負の法則」から、「正正の法則」へと、いま、宇宙はバージョンアップ
していい時期じゃないのかな、と思っている。
やりたいこと、好きなことだけをやることで、ますます正のスパイラルは生まれる。
負は宇宙に存在しない、と信じきる。一点の曇りもなく。
がんばらなくていい。努力なんて、身体に悪いからしなくていい。
正しいことより、楽しいこと。
苦労より、笑顔。
そのために、ぼくたちは、長くしみついてしまった数々のレッテルを、洗い流していこう。
そのほうが、間違いなく、楽しい。
<追記>
そもそも「正負の法則」に従おうとすると、ゼロが一番いいことになる。
でも、大きなマイナスをおそれるあまり、投球フォームが小さくまとまってしまったら
それこそ、何のための人生? ドッカーンと落ちることはマイナスじゃないよ。
ドッカーンと落ちたら、それはそれで大きなネタ、楽しさの一つやん。
面白い映画は、主人公は必ず一度や二度、ドッカーンと落ちる。
でもそれは、あとで必ず「良きこと」となっている。
そもそも宇宙に「失敗」はない。
そこにあるのはネタ、つまり、楽しいネタばかりなんだ。
だから、成功とか、失敗という単語すら、辞書から消し去ってしまっていいのかもしれないね。