『あまちゃん』が面白くなくなってきた。
正確に言うと、9月に入り、311震災後を描き始めて
つまらなくなったのである。
断っておくが、これはあくまでぼくの個人的感想であり、何かの
取材根拠をもとにしているのではない。
震災や震災について描くことがつまらないと言っているのでもない。
描き方について言っているのでもない。
描く内容についても言ってない。
あくまで、クリエーティブとしての『あまちゃん』
のトーンがガラリと変わってしまったことを言っている。
クドカンの綿密な脚本に感動し、一日に3回は繰り返し見ていたぼくが、
9月に入ってからは1回見るのが苦痛である。
雑だし、なんだか「クドカンらしくない」のである。
NHKらしいのだ。
そしてこれは、同じクリエイターとして、同じ目に遭ってきたぼくだから
こそわかる、という自負もある。
具体的に言えば、クリエイターは「違う景色を描きたい」。
一方、それをパブリッシュするサイド(NHKやぼくでいうと出版社)
は「同じ景色が安心」「企画会議に通る」。
あれほど綿密だったクドカンの脚本に穴が目立ち始めたのである。
すっごくわかるのは、毎週土曜日放送回最後にある次週予告が
「ありそうな」予告になってしまっていること。
それに伴い、本編も、なんだか矛盾だらけになってしまっていること。
具体的シーンとしては、アキの背中にウニが投げつけられた不思議(→)。
クドカンらしくない。NHKらしい。
あるいは、ユイちゃんとの再会シーン。
もっと前、アキが北三陸に帰った日に電話なり何なり連絡取っていた
はずなのに、海女カフェの再建を決意する日までユイちゃんと連絡
取ってないし、しかも何でユイちゃんが都合よく海女カフェにいるのだ?
そこで、クリエイターとして、推測する。
クドカンは、「震災を描くドラマじゃない」と言い切っている(→311の日付参照)。
しかし、NHKとしては震災を描いて、感動物語にしたい。ご都合主義が多少入っても
致し方ないと考える。
言い換えれば、クドカンは「違う景色を描きたい」。
NHKは「同じ景色を見たい」。
ぼくの出版企画は「違う景色を描きたい」。
出版社は「同じ景色で類書の範囲でそこそこ売れればいい」。
クリエイターとして、思う。
こういうところが、いまの日本の文化を面白くなくしているんだよ!
それでもぼくはクドカンを信じている。
『あまちゃん』最終回には、感涙を流したいと期待しています。
そして、ぼくもクドカンを参考にしたい。