会社やお店をやっていると、「問題」が発生する。
常に「問題」はある。
なくなることはない。
問題は、解かれるために天から出題される。
だから、向き合うしかない。解くしかない。
避けると、同じような問題が形を変えて出題されるだけである。
問題と課題は違う。
課題が服着たのが問題だ。
だから問題は違っても、本質の課題は同じということはよくある。
例で話そう。
恋愛で痛い目にばかりあう女の子が、
「もう、二度と恋愛はしないことにする!」
と、男性から逃げてばかりいるとする。
問題から逃げているのである。
問題を解くことから逃げられたとしても、
課題は消えない。
彼女自身の中にある「解決を待っている課題」は消えてない。
労使問題が常にある会社があるとする。
「解け」という天からのせっかくの出題なのである。
労使問題というのは、経営者の、学歴コンプレックスという課題が
形を変えただけだったりする(あくまで例で、架空の話である)。
「君のその学歴コンプレックスに向き合って消してしまい給え」
という天からのメッセージなのである。
だから、会社に問題があるのは、良いことなのだ。
問題を解くために会社が存在しているともいえる。
つまり、問題がなくなったら、その会社の存在意義もなくなることになる。
ジーンが、いなくなるのである。つまり倒産。
問題を、歓迎しよう。
これは人生も同じ。
人生、常に頭を悩ませる問題がある。
だから生きているのだ。
生かされているのだ。
人生に問題がなくなったとき、人は人生を卒業するのだろうね。