ぼくはこの世を借り物だと考えている。

そして時間は瞬間のつながり。

過去はないし未来もない。

あるのは現在だけ。

だから「年寄り」とか「若い」という概念も、ただの言葉であり、

実体はない幻想だと考えている。

「もうこの年ですから」

というのは何の意味もないことになる。

キャリアを積む

という表現がある。

背景にあるのは「人生は積み重ね」

という考え方だ。

でもぼくは、

人生積み減らし

だと考えている。

積めばつむほど、きゅうくつになる。

動きが鈍くなる。

思えば、いつも何か新しいことを始めるにあたって、

捨ててきた。

会社辞めたとき、営業を19年やってきた名刺の積み重ね、

全部捨てた。

この「捨てる」姿勢はいまも続いている。

本、捨てる(自分の著作でさえ)。

引っ越し時にCD、人にあげて、まったくない。

音楽はネットストリーミング。

なるべく

「もたない」

ようにしている。

チンパンジーの興味深い実験がある(*)。

おいしそうな果実のにおいが漂ってきた。

仲間の一匹が殻を器用にこじ開けた。

あ、あの中に果実があるんだな。

見ていた別のチンパンジーが殻を開けようとした。

うまくいかない。

さて、あなたがそのチンパンジーだったらどうするだろう?

(A) 仲間のチンパンジーがやったのと同じ方法で、割れるまで試し続ける

(B) その方法はあきらめて、別の方法を探す

ここで人間とチンパンジーが分かれる。

人間は、Aを選ぶ。

チンパンジーはBを選ぶ。

なぜか。

人間は社会的学習をする生きものだから。

社会的学習とは、言い換えれば、「人と同じことをする」

ということだ。

判断を自分の脳ではなく

置かれた立場

そこにいる環境

つまり実体のない共同幻想

がしている。

創造的、クリエイティブになろうと思うなら、

積み減らし

の姿勢がオススメです。

では、古いものは意味がないのか?

というと、そういうことではない。

たとえば堺筋倶楽部の建築は歴史的建造物、

昭和の始めの竣工で古い。

しかし、古い、新しいは、建築物を見る側の中に生まれる

ものであり、

ぼくにとっては新しい。

人によると古いと思うかもしれない。

そう、新しい、古いというのは対象物にあるのではなく、

見る側にあるのだ。

*参考『#HOOKED 「つい買ってしまった。」の裏にあるマーケティングの技術』TAC出版刊