Twitter、面白い。
ついさっき、ダライ・ラマからフォローメッセージが来たし、
Yoko Onoともフォローし合う仲になれた。
長くどうしているのかな、と思っていたともだちと
「なんだ、ここにいるんじゃん」という
感じでエールの交換ができているし、とっても楽しい。
リスペクトする最相葉月さんが
「つぶやき合う人と人の親しさの度合いまで剥き出しにする」Twitterの危うさ、
と書いておられて、さすが鋭い(VISA 2009年10月号p.24)。
というのも、ぼくも、昨日、ある人の本質、というか、無理しているしんどさ
を見た気がしたからだ。
子どもと朝マック中とか、子どもとDVDで映画観ているとかを
モバツイッター(つまりケータイ)でつぶやいている人がいて、
その人は、きっと、
「仕事もしっかりやり、そしてお母さんもしっかりやっているのですよ」
ということを「つぶやく」ことで示したいのだろうけど、
でもね。
朝飯くらい、作ってあげなよ、いや、仮に子どもが喜ぶから朝マックでも
いいけど、じゃ、朝マックに集中しなよ、「つぶやいて」る場合じゃないじゃん。
映画を観てるならそれに集中しようよ。子どものつきあいで、いやいや
一緒に座って、お母さんはTwitterしている、というのは、子ども、察知
しているよ。子ども、敏感だから。
政治家は、イメージアップのために、子どもを抱き上げたり
しているポスター写真を撮る。そんな匂いが、彼女のつぶやきから
立ち昇った。無理してるね。しんどいね。
ぼくは現在24歳の人が小学3年生だった頃からネットでビジネスしている。
だから余計、「ネットから立ち昇る書き手の体臭」に敏感なのかもしれない。
Twitter、面白いけど、気をつけなきゃ、と思った次第です。