まえがき
以下の文章は、昨日の日記を受け、当時書いたSurfin’を
思い出して、どう考え、どんな行動をとったのかを転載したものです。
Surfin’では最初、カルトレインに乗ってスタンフォード大学へ行った話
から始まり、ビジネススクールの場所をドラッカーに道案内してもらった
エピソードも紹介されているが、ここでは割愛し、
トイレに行きたいのを我慢しながら、トム・ピーターズに会いに
行った話から始めます。
トム・ピーターズ・グループに行く
トムのオフィスに行ったら、トイレを借りよう。
ぼくはトイレに行きたかった。
オフィスはパロアルト駅の北側に、あるはずだ。
ぼくとトムとの出会いは多くのひとと同じく『エクセレント・カンパニー』で
ある。その後『経営破壊』(Crazy times call for crazy organization)、
『経営創造』(The pursuit of WOW!)ときて、人生が変わった。
メルマガSurfin’発刊の動機は、『経営創造』の影響を受けている。
ところがそもそもオフィスがどこにあるのかわからない。手元にぼく宛に来た
手紙を持ち、その住所を道々の店に入って聞きながら、ずっとHamilton Ave.を
北に上がる。みんな、とても親切で、おもちゃ屋さんは、わざわざ道まで出て、
教えてくれた。アメリカの表示は極めてわかりやすくて、住所さえわかったら、
まず、辿り着ける。
あった。555Hamilton Ave.
建物に、「555」と、はっきり書いてある。3階建。呆然とする、とはこのこ
とだ。Dreams come true.
あれだけ憧れつづけていたオフィスが、目の前にある。血が頭に上るのを
感じた。ドアはガラスで、セキュリティチェックがかかっている。ぼくがメール
をやりとりした担当Davidはアイルランドに里帰りしていて留守なのは、日本に
いるとき交わしたメールで知っている。だれともアポイントは取ってない。
ままよ。
ドアのボタンを押した。
開いた。
TPGの腹黒女
出てきたのはまだ学生のような女性だった。
彼女こそは、今度の旅行で出会う二大腹黒女のうちの一人なのだったが、この
時はまだ気がつかない。ぼくは夢が叶ってしまい、焦ってしまい、思考回路が切
れてしまい、立て板に水、論より故障、欧陽菲菲だったのだ。
「どなた?」声に出さないが、身体全体から黒く、重い空気を送ってきている。
「ワタシ・ケイイチ・サカモト・イイマス。ニホンカラキマシタ。トムノフアン
ナノデ。」(持ってきていたトムの本『Crazy・・・』を見せる)
(腕組みし)「それで?」(So what?:阪本註。この言い草は、ケンカをふっか
けるための『のろし』みたいなものであるが、当時のぼくの実用英会話力ではわ
からない)
「(・・と、言われても)ハイ。ソレデ、ワタシ、トムニアイタイト、キマシタ
ノコトネ」
「トムはいません」
「ソデスカ。デハ、デビッド ヲ ヨンデクダサイ。ココニ デビドサン カラモラ
タテガミアルノコトヨ」と、ぼくは汗一杯かいて、Davidからもらったセミナー
の案内メールの封筒を見せた。
「Davidはここにはいないわよ」
「デモ デビドサン ハ、ココニ」
「あなたは何がしたいの?」
「イエ・ナニトイワレテモ・・・・(もじもじ)」
「あなたはTom Peters Learning Systemsに行ったほうがよさそうね。いらっし
ゃい」
彼女は真っ黒な視線を浴びせながら、すぐ横のエレベーターのボタンを押し、
開いたドアから入った。
「ボクモ、ノッテ、イデスカ?」(ここまで来ると、卑屈そのものである)
James M. Kouzes 登場
3階に止まった。開いた。そこには受付カウンターがあったが、だれもいなか
った。
「で、あなたはここで何がしたいの?」また、腕組みをして、にらむ。
ぼくは手元にある封筒を見せた。それはDavidからのものではなく、その前の
担当者からのものだった。「彼女は、辞めたよ」。
腹黒女が「ちょっとお、このひとがさあ、・・・」と、入口すぐの部屋にいる
ひとに廊下から声をかけ始めようとしたそのとき、本をたくさん抱えた小太りの
おじさんがひょこひょこと歩いてきた。ぼくはこのひとなら、話ができる、と、
直感的に悟った。動物的勘、ってやつである。
おっちゃん「どうしましたか?」(ニコリと、笑顔)
「こんにちは、Sakamotoといいます。Keiichi Sakamotoです。日本から来ました。
ぼくは古くからのトムのフアンで、この本はご覧のようにボロボロになるまで読
んでいます。貴社のDavidとはe-mailでいつも話しており、現在彼はアイルラン
ドに帰郷しているということは知ってはいたのですが、貴社を是非一度見学した
いとかねてから思っていたもので、こうしてお邪魔している次第です」
一気に話した。腹黒女は、とりあえず引き渡したから、と、このやっかいもの
をバトンできたことにホッ、としてエレベーターで下りていった。
意地だ、ドアが閉まる前、彼女に「ありがとう、ご親切に」と、精一杯の笑顔
でお礼を言った。
おじさんは「Welcome!!」と一言、どうぞ見ていってくれ給え。
「彼女はClaireだ。秘書をしてくれている」
Claire「こんにちは!」満面の笑顔だ。ぼくはこれまでのやりとりで心底疲
れていたので、ホッ、とした。嬉しかった。
おっちゃんはJames M. Kouzesといい、ぼくは早くもごろにゃんと、「James!」
と呼ぶようになっていた。JamesはCompany tourをしてくれた。要するに、オフ
ィスの中を案内してくれたのだ。その階の構成は、真ん中がミーティング・ルー
ムで、それを囲むようにして各人の部屋がある。Jamesの部屋は一番奥の角部屋
だった。窓から12月のカリフォルニア太陽光が注ぐ。
おっちゃんが名刺をくれた。 Chairmanだった。
「写真を撮っていいですか?」
「もちろん!」
「あとでメールに添付して、送ります」
「そいつはすごい! このカメラはデジタルか? すごいなあ」
おっちゃん、いや、Jamesは、ミーティングルームに自分からすたすたと行き、
メガネを外し、自著を抱えてポーズを取った。写真なれしている感じがしたね。
もう一枚撮って、その場ですぐに見せてあげる。Jamesは嬉しそうだった。
ぼくも嬉しくなった。
JenniferとJamesも、撮ってあげた。Claireには、ぼくとJamesを撮ってもらっ
た。みんなキャッ、キャッ、として、まるで観光地である。
現在TPGが何をしようとしているのかを、その部屋においてある資料や、壁に
貼ってある社内ブレストのあとを見ながら、話し合う。トム依存からの脱却を、
目指しているように見受けられたが、そりゃそうだろうね。
もう一度、Jamesの部屋に行く。James、とてもご機嫌になり、自著
「The Leadership Challenge」をくれた。サインをしてくれ、と言ったら、
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For “Surfrider”
Wishing you
Continuing joy of success
James
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としてくれた。ちなみに「Surfrider」というのは、当時のぼくのハンドルネー
ムであり、おばかなことに、名刺にまで刷っていたのである。
ここに彼が書いている「Continuing」(たゆまざる)は、TPG Learning
Systemsのキィワードだったのだが、この時は知る由もない。
そして、この本は、結構ビジネス書としては売れていて、有名な本だというこ
とも後で知った。サンフランシスコに戻ってBarns & Noblesでかなり大きい顔を
して、本棚に納まっていたことからもわかる。本の中からちょっと引用。
「Knowledge is the new currency」(知識は現代における新しい通貨だ)
トムが序文を書いている。「空港の本のコーナーは一番厳しい競争にさらされ
るものだ。ドラッカー、スティーブ・コーヴィー。しかし、この本は初版が出た
1987年以来、一貫してロンドン・ヒースロー空港の書棚の一角を占めている」
出かけないといけない時間になったJamesは、丁寧に挨拶してくれ、そしてぼ
くはエレベーターまで送った。
いったん閉まったドアを開け、何を言うかと思ったら、
「Davidはサンフランシスコの自宅でここの仕事をしているから、電話してみた
らいい」とのアドバイスだった。そうだったのかDavid、君もSOHOだったとは。
知らなかったぞ。
ほのかな心の交流と、新たなアドベンチャーの始まり
あとに残ったClaireとぼくはまたしばらく写真を撮って遊んだ。部屋を撮ら
せてくれ、と言ったら、「ちらかっているから・・・・」と、あわててかたづけ
ようとする。
「そのままのほうが、仕事してるみたいで、ええやん」と言ったけど、言ったあ
とで、しまった。言い方まずかったかな、と思ったが、彼女は意に介さない様子
だった。
「私のsister(姉か妹か、わからない)のダンナが東京にいるのよ」
「へえ、ぼくは大阪です」
「そうなの?」
「東京は行ったことがありますか?」
「あります。大きすぎる都市ね。大阪と東京とは、どう違うの?」
「(日本語でも困難な質問やんけ)そうですね。東京はtoo bigです」
「ふん、ふん」
「大阪はギャグばかり言うアホが揃っています」とは言えず、ちょっと間を置い
てしまった。
彼女はほんとうにさわやかだった。「このセーターは、スコットランド産で、
クリスマスセーターなのよ」と自慢したのが可愛かった。
エレベーターを下り、建物を出て、もう一度、ぼくは振り返った。
長くながく憧れてきたところに来た充実感で、軽く汗ばんでいた。
Hamilton Ave.を駅までゆっくり、満たされた気持ちで歩く。
そこで、いままで忘れていた尿意が、海の中から襲い掛かる米国版ゴジラのよ
うに、どどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどど
どどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどと、下腹部を刺した。
そしてぼくの、シリコンバレー<トイレ>アドベンチャーが始まった。
Mahalo!
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(初出1999/1/8)
あとがき
この時撮った写真、いまとなってはデータを紛失してしまっている。あれから
パソコンを何台も変えているし、保存したメディアも使えないものばかりだから。
ま、残念だけど、仕方ないね。
さて、話を、トイレ探しアドベンチャーをしている1998年のぼくに戻そう。
トイレはなかった。駅前に行けばなんとかなるだろうというのは日本人の考えで、
なんともならない。そもそも駅にはトイレはない。困ったときのガススタンド
だが、そこのトイレは「工事中」。蒼くなったぼくはやや小走りに、パロアルトの
街を歩きまわった。タイトルのWalkin’ around Palo Altoは、実際のところは、
「こういう意味」なのである。途中、サイクリングしているひとに時間を聞かれたり
(そういえばこの旅の間、2回目である。もう一度はサンフランシスコのケーブ
ルカー乗り場横、GAPの前を歩いているときだった)、したのでちょっとタイム
ロスしたが、「University Bookshop」という本屋さんのカウンターに泣きつき、
貸してもらった。
ちなみに、この書店では師匠トムの本を探したのだが、けしからんことに、
地元の書店でありながら、一冊も置いていなかった。
代わりに、当時の売れ筋だったスターバックス創業者のハワード・シュルツの
本が麗々しく飾ってあった。
まあ、地元だからといって著者を大事にしないのはパロ・アルトに
限った話じゃない。葉山や逗子の書店でぼくは自分の本を見たためしがないからね。
葉山図書館は丁寧にフォローしてくれる学芸員さんがいて、お世話になっています。
帰国後、JamesとClaireにはデジタル画像を送った。Jamesからは、丁寧な礼メー
ルが来た。彼が、リーダーシップ論の大御所だということを知るのは、ずっとあ
とになってからである。
2000年、独立して間がない頃、仕事でシリコンバレーを訪問することになり、
JamesがまだTPGにいたら是非会いたいとメールした。久しぶりだったので覚えて
いないかと、当時の写真を添付した。Jamesから折り返しすぐ返事が来た。
以下が、要旨。
「もちろんKeiのことは覚えているさ。残念ながら君が来る頃、私はフランスに
行っていて留守だ。・・・(中略)Kei、人生で何が大切か、よく考えることを
勧める。私はコンサルタントとして仕事ひとすじに歩いてきた。ところが、昨年
秋、長く闘病生活を送った妻を亡くした。そこで初めて私は、人生について、考
えた。Kei、君の大切な人はだれだろう。仕事もいいが、しっかりその人を見つ
めることだ」
しみじみした、いいメールだった。
また久しぶりにJamesと会いたいものだ。