SPECにハマっている。
ドラマである。
堤幸彦監督&植田博樹プロデューサー、しかも金子文紀演出の回もある。
全員、大好きなクリエーターである。
最終回のみを残して、全部見た。最終回は録画しているが、忙しくてまだ見てない。
ハマるあまり、SpecMagazineという電子書籍完全版まで購入し、わがiPadにDLして
読んでいる。で、何が言いたいかというと、「最終回で全部解決してほしくない」
と思い始めている自分に驚いたからである。
連続ドラマの場合、最終回までもつれにもつれ、最後になってようやくそれまでに
謎のまま残っていたピースがすべてぴったり合って、視聴者はカタルシスを
感じる、というのがお約束なのだが、それではつまらないと思う。
落語的というか、何というか、特に談志家元風思考回路でいうなら、
答えなんかなくていいのである。
と、思っていて、オフィスの赤の間(JOYWOWオフィスは青の間と赤の間がある)
で書棚を見ていたら、河合隼雄先生の『猫だましい』を発見した。
これは村上春樹宅にある猫の置物をカバーに使った珍しい本で、
たしかニューヨーク時代に読んだもので、内容はあらかた忘れている。
パラパラと見ていたら、ル=グウィン『空飛び猫』の話にひきこまれた。
「自分の四匹の子猫たちみんなに、どうして翼がはえているのか、ジェーン・
タビーお母さんにはさっぱりわけがわかりませんでした」(村上春樹訳)
ここから河合先生は、「なぜなし」と「なぜあり」について論考を進める。
ファンタジーの本質は「なぜなしに存在し、なぜなしに納得させられる」
ことにある。そう先生は指摘し、ぼくも同感である。
ぼくたちは「こうすれば、こうなる」の世界に生きている。
ビジネスなんか、まさにそれで動いている。
しかし、「こうすれば」とやって、「こうなった」ことはめったにない。
売れると思った商品が売れなかったり、売れるはずがない商品が
大ヒットしたりする。
そもそも「良かれ」と思ってみんなががんばって作った結果が
現在のこの、暗いくらい日本社会じゃないか。
つまり、「なぜあり=こうすれば、こうなる こうなったのは、これこれが原因」
の世界観には限界がある。
生きづらさ、しんどさ、の原因は、「なぜあり」がはびこっているからじゃないか?
だからせめて、ぼくは、ドラマの世界だけでも、「なぜなし」にどっぷり浸りたいと
思うのだ。
なぜなしで、いいじゃないか。