マンハッタン・ユニオンスクエア北側のBarns and Noble書店は

ぼくにとってエンギのいい店で、

『Permission Marketing』と出会ったのはここだ。

そして今回も、本とのいい出会いがあった。

ヴァージニア・リー・バートンが1942年に書いたThe Little House。

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翻訳されていて『小さいおうち』だったかな?

読んだ人も多いと思う。

ぼくは知っていたが、読んでなかった。

立ち読みし、まさにこの本の内容こそが、現代日本人が突きつけられている

テーマだと思った。その夜、The Nippon Clubで行われたセミナーで

紹介した。

こんな話だ。

美しい自然のど真ん中に、小さなおうちが建てられた。

おうちを建てた人は、

「この家は、どんなことがあっても

お金に換えない。

私のgreat-great-grandchildren’s great-great-grandchildrenが

ここに住むまでずっと生き続けてもらわなくちゃならないからね」

小さいおうちの周囲では、自然がいきいきと生きていた。

春が来て、南からひばりが戻ってくる。

木々や芝生が緑をこくし、子供たちは小川で遊んだ。

時は過ぎ。

小さいおうちの周囲は高層ビルが立ち並び、高架を電車が走り抜け、

車はびゅんびゅん飛ばす。

人は周りに気を使う余裕もなく行き過ぎ、空気は汚れ、鳥も、夜空の月も、

星も、見えない。太陽はわずかにお昼すぎに顔を出すだけ。

小さいおうちに住む人もいなくなり、薄汚れ、窓ガラスは破れ、いかにも

ボロ家の姿になってしまった。

最初に家を建てた人のgreat-great-granddaughterが家に気づき、業者を手配して

家ごと、自然豊かな場所へ移転してもらった。

小さなおうちに、また心の静寂が訪れた。

星はまたたき、新しい月は昇った。

時は春。

静かで心安らかな時間が戻ってきた・・・・

エンパイア・ステートビル外部展望台から見上げるてっぺん

エンパイア・ステートビル外部展望台から見上げるてっぺん

経済発展のゆきつく先が、大量の電力に頼り切り、水道の蛇口をひねれば清潔な水が

あふれ、その水を飲めばいいのに、ペットボトルの工業製品水を買って飲む。

食べ物はあふれ、「新鮮」を売りにするあまりガソリンを大量に使って、

コンビニへ小口配送したおにぎりは売れ残ったら廃棄処分。お弁当も、消費期限が

切れたら、処分。

一年中いちごやりんごが食べられ、スーパーの食品売り場から季節感がなくなって久しい。

夜はまるで昼間のように街中明るい。

この、「どこかおかしい」社会になってしまった日本に、

蛇口から水が出ること

空気を思いっきり吸えること

食べ物があること

太陽が沈んだら、休むこと

を、教えてくれているのが、今回のこの事態ではないか。

日常を、当たり前を、当たり前に過ごせることへの感謝。

この感謝を知った時、経済は質的転換をするのでは?

経済を止める必要はない。

止めてはいけない。

止めるのではなく、本当の意味で、質的転換を行い、

その中で、みんながそれぞれのハッピーを探す。

これこそが、いま、日本人が真剣に考えなければならないことではないか。

ゆきつくところは、

何をしていたらハッピーか?

私は誰(Who am I?)

という、根源的な問い。

そして、日本人は、人類に先駆けて、この問いに直面し、答えを導き出す

課題を背負った。

問いは、できる人に課される。

みんなで、乗り切ろう。

そして、世界に範を示そう。