なんということだ。
本を書かなきゃならないのに、19時の番組開始にはテレビの前のカウチ
へ陣取って、ビールを飲み始め、画面に見入ってしまったではないか。
AKB48総選挙。
断っておくがぼくはAKB48のファンではない。ようやく前田敦子の名前を
覚えたくらいで、あとは区別がつかん。
しかし、総選挙は面白かった。マーケティングの本質を見た。
AKB48というproductsそのものは、マス・コミュニケーション全盛で
大衆操作ができた時代を懐かしむ仕掛人のオッサンたち
(秋元さんとか広告代理店、テレビ局など)
が自分たちの懐古趣味を唯一満足させてくれるモノだ。
そういう意味では、「業界の、業界による、業界のための」仕掛け。
バカな新聞が「国民的」と言っているが、本質をつかんでいない。
国民的なわけがない。
AKB48総選挙を成立させているファンたちは、「わかっていて」
乗って来ている。そもそもCDという製品はなくても生きて行ける性質のものだ。
食品や衣料品のように、人間の基本的欲求を満たすものではない。
Seth Godinが言うように、
Stories only work because consumers buy what they don’t need.
* Seth Godin, All marketers are liars, p.101
人が必要としないものを買うとき、物語は有効だ。
その物語とは、「ぼくが支えてあげなきゃ」という、リアルでやりゃあいいものを、
リアルの女の子はおっかないから、幻想に対して貯金53万円使って2700票投じる
22歳会社員のような男の子が思い描いているもの。彼が53万円投下して買ったのは
CDではなくて、自分の物語と、その物語に満足する自分である。
そう、AKB48は、仕掛人たちにとっても、支えるファンたちにとっても、
究極の「Me-media」なのである。「自分を満足させてくれるメディア」。
AKBに参加している女の子たちにとっても、「自分らしく」(昨日一番耳にした
言葉。ぼくはこれが好きになれない。努力しないことや努力してもうまくいか
なかったときの正当化に便利な言葉だからだ)「Me-media」なんだ。
そして、このMe(自分)こそが、現代の新しいマーケティングのキィワード
なのである。