時間は本来人間が作ったフィクションだ。
太陽あるいは月と地球との距離で生まれる。
「時は流れる」という表現があるように、川の流れのように、
ある方向へ「時」が流れるイメージだ。
だから、次のような表現がなされる。
「過去は変えられないが、未来は変えられる」
過去は済んでしまったことだから変えられないが、
未来は自分の意志でどうにでもなる。・・・という意味だろう。
しかし、ぼくは過去を変えた経験がある。
会社員時代、上司にいじめられた。
これは事実である。現象として、実在した。
上司はいじめる意図をもってぼくに接していた。
そこには理由があった。
問題はここから。
いじめられていたまさにその時、ぼくは「不幸」だと思っていた。
あのままつづいていたら、きっと精神を病んでいた。上司が憎かった。
しかし、現在のぼくは、「あの上司のいじめがあったから独立の決心がついた。あの時独立
していたからいまがある。上司がいじめてくれたおかげだ。上司には感謝しかない」
これが、「過去を変えた」ということだ。
保険にしても、塾通いの子どもにしても、「現在を犠牲にして、未来へ投資」している。
保険に支払うお金があったら、いま、行ったことのないアラスカへ旅行してオーロラを
見物できたかもしれない。
塾に行く時間で、ともだちと大いにいたずらしたり冒険したりできたかもしれない。
しかしながら、「いざというときのため」に保険は入るものだし、
「なんだかんだ言っても学歴がないと幸せにはなれない」から、塾へ行く。
しかし、「いい学校へ入り、いい会社へ入った結果」が朝の山手線である。
ぼくはいつもあの中でギューギュー押されながら脳内に「ドナドナ」が流れる。
以前もブログで書いたが、すべての価値観をぶっ壊す時期に来ている。
それの典型が、「いまを手段にする生き方」だ。
一度、ぶっ壊してみないか?
すべて・すべて。
世間の価値観からできるだけフリーに生きよう、としてきたZONOとぼくが、
「いま・ここ」をテーマにトークライブやります(スライドはこちら←)。
来週10日夜、代官山にお越し下さい。
既に40人強、手を挙げてくださっていますが、あと少しなら、お席があるようです。