映画『Matrix』を10年以上ぶりに観た。
2000年、ニューヨーク大学ビジネススクールで講義したときも
この映画を使ったけど、今回再見して、まったく違う理解をした。
写真は、1970年代、80年代、90年代、2000年代のぼくだ。
それぞれ一所懸命、社会もさることながら、少なくとも「自分の」未来をよくしようと生きていた。
そのときどきの「課題」はまるで違うけど、ものさしは一緒だった。
それは、「夢をかなえるためには努力しなければならない」
「何かを手に入れなければ、いまよりも良くならない」
というものさしだ。言い換えれば、
「幸せになりたいなら**を手に入れなさい」
というものさしだ。
人によっては「**」は「結婚」かもしれない。
つい先日までやっていたNHKドラマ『ご縁ハンター』(→)はこれがものさしで
成立していた。
「**」、人によっては「お金」かもしれない。
人によっては「名声」かもしれない。
『Matrix』を観て、実はそれは違うんじゃないかと気づいた。
すべては幻想であり、実のところ、
すでにわしらは幸せなんだ
と思ってみていいんじゃないか?
と。
すでにわしら、全部「ある」
と。
「ある」といっても「having(もっている)」ではなく、
「being(存在の全体)」が「ある」と。
何も外出先からエアコンをスマホでオンできなくてもさ。
「何か足りないものを埋める」論理で動いてきたのがこれまでの経済だとすれば
(にしても、外出先でエアコンのスイッチを入れるのが『足りない』とは思わないが)、
これからの経済は「すでに全部ある」満足を自覚したり、確認のできるような
そんなサムシングが動かすのではないか?
いずれにしても言えることは
確実に言えることは
「夢をもちましょう」
というのは罪な言い回し、発想だということだ。
夢が夢であるうちは、永遠に実現しないのだから。
やっぱ、わしらはすでに全部「ある」んだよ。
Matrixのネオのように、自信持っていいと思うよ。