ある人に、「夜、ぐっすり眠れない。3時半くらいに目が覚めてしまう」

と相談された。ぼくの返事は

「それのどこがあかんの?」

悩みって、「かくあるべし」という世間の常識と自分とのズレに

「悩む」んだと思う。

ところでいまぼくは出張先、名古屋のホテルにいる。昨夜横浜から移動してきた。

夜たまたまつけたテレビで、視聴者からの悩みが読み上げられていた。

「ムスメは30歳、情報処理会社に勤務しています。いつも家を出る20分前ギリギリまで

寝ていて、昼食の弁当は妻が作ります。部屋は一か月に一回くらいしか掃除しないので

散らかりっぱなし、休みの日は一日中寝ています。こんなムスメをどう思いますか?」

番組ホスト、毒舌でならしたタレント2人の答を楽しみにしていた。

ところが、彼らから出てきた答は極めて「常識的」なもので、そのムスメのダメさ加減を

糾弾する内容だった。つまらない。

ぼくならこう返す。

「で、それのどこがあかんの?」

ビジネスでも同じで、知らずしらずのうちに世間の最大公約数または多数決の

「常識」が判断していることが多い。

あなたではなく、「世間」の意思決定。

するとどうしようもなく凡庸なアイデアしか出てこなくなる。

昨日、横浜そごう美術館で山口晃展を観た。

山口晃の作品は初めてだったが、これがすごかった。ハラにずどん、と来た。

彼は平安時代、鎌倉時代、江戸時代、明治時代、昭和時代、生まれ変わるたび常に

「山口晃」としてこの世に出、かつ前世の記憶をすべて覚えているのではないか

下書きなしにあれだけ精密な各時代の衣装、風俗が描けるというのは

「記憶している」としか思えないのだ。・・・言語で表現しきれないのだが。

要は

「常識の枠外」の世界観の面白さ

その山口晃が描いたドナルド・キーンの読売新聞連載『私と20世紀のクロニクル』

がミュージアムショップにあったので、即買いした。

フツーの常識人なら、ドナルド・キーンのような47歳も年上大家の文章に

挿画を描くとなると筆が縮むものだが、山口晃、まったく知ったこっちゃない。

そこが面白かったので追体験したくて本を買った。

キーンには失礼だが、キーンではなく、山口晃が目当てで。

本を開いてみると、山口晃の挿画はほんの少ししか掲載されていなかったので

当てが外れたのだが、しかし、この本は儲けものだった。

ドナルド・キーンは安部公房の純文学書き下ろし作品の評などで知っていたが、著作は初めて。

いやー。これは面白い。夜寝る前に読み始めたのだけど、あまりの面白さに一気に半分まで

読んでしまった。

本のどこがどう面白いかは、いずれニューヨーク・ジャピオン連載コラム(→)にて

紹介します。

話をもとに戻すと、山口晃の個展を見ることで、あらためて、ぼくは確信した。

「それのどこがあかんの?」、

標準語でいうと

「それのどこがいけないの?」

という問いを、大事にしようと。