あるブランドが「らしくないことをしたとき」、あらためて
そのブランド・エッセンスを認識することがある。
たとえば;
『あまちゃん』で、震災関係の描写になったら、途端に「NHKっぽい」
描写になる。クドカンらしくないのだ。
先週はそれが顕著で、震災以外の描写の速度感、ノリ感はクドカン本来の
持ち味が発揮されていて相変わらず面白い。
喫茶『アイドル』で春子(キョンキョン)や鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)、
太巻(古田新太)、マスター(松尾スズキ)がやりとりして
いる場面はまさにクドカンの真骨頂。
ところが、北三陸関係の描写になると、ガクン、と速度や画面の密度が
粗くなる。推測だが、NHKサイドからの「直し」が入っているのだろう。
クドカンの強み、つまりブランド・エッセンスは
「哀しいとき、シリアスなときほど、人はオバカをやる」。
名作『木更津キャッツアイ』の背骨が、まさにそれで、
「哀しいとき、シリアスなときほど、人はオバカをやる」
がなければ、成立し得ないドラマだ。
息子が不治の病だとわかったとき、父親は女装して和田アキ子の
「あの鐘を鳴らすのはあなた」を歌う。
そのシーンで、ぼくは号泣した。
同じことを、Appleでも発見した。
iPhone5s。
いま使っているiPhone4sにガタが来ているのと、ドコモが扱い始めた
からぼくは買うけど、たとえて言えば、「いま使ってるこの手袋、
かなり傷んできたし、そろそろ新しいのに買い替えようか。
しゃあないな」という「やむなく」な感じだ。
iPhone5sで耳に入ってくるのはスペックばかりだ。
既知ばかり。
これで気づいた。
Appleのブランド・エッセンスは
未知のワクワク
なのである。