筒井康隆さんはぼくが大学生だった70年代後半から愛読しつづけている。
好きが嵩じて神戸・垂水のご自宅まで押しかけたことがある。
「押しかけた」とはいえ、ただ外から見物するだけの大人しいものだが。
阪大卒論『共同幻想論』プロローグには筒井さんの短編からモチーフを
いただいている。
だいたい、筒井さんもぼくも、精神分析と哲学を基礎としており、
似ているのである。
さて、その筒井さんの「おそらく最後の長編」と銘打った
『モナドの領域』(『新潮』2015年10月号掲載)を読んで、
背筋が寒くなった。
まさに『ブランド・ジーン』なのである。
モナドとは、GOD(神だけど、神でもない。神を超えた存在。
小説をお読みください、としか言えない)が
宇宙の始まる前から生み出したプログラミングであり、
つまり、宇宙の誕生、銀河系の誕生、地球の誕生、
人類の誕生、戦争、疫病の蔓延、果ては経済発展、民族の滅亡、
国家の成立、宗教戦争・・・などすべてすべてが
「あらかじめプログラミングされている」
のである。
「身も蓋もない」
と登場人物に何回も言わせている。
そしてGODはこう返す。
「ああ。真実とは常に身も蓋もない」
経営コンサルタントが質問する。
「GODがそのように、未来のことをすべて
知っておられて、ひとつひとつの企業の経営状態が
どうなるかまで熟知されておられるのには驚きます。
それは恐らく裁判でも言っておられたモナド、つまり
あなたが作られたプログラム通りになることがすべて
決定しているからだと思うんですが、そのモナドは変更
されることはないんでしょうか。でないと、人間には
現状を変えようとする自由もないことになりますが」
(『新潮』2015年10月号、p.87 下段より引用)
まさに『ブランド・ジーン』を読んだ多くの人が抱く
疑問であろう。
「あまりに運命論的でついていけない」とブログに
書いた人もいて、ぼくはその人に共感していたのだが、
いまリンクしようとして検索したらなぜかジーンについて
二日間かけて書いてくれた記事が削除されてしまっている。
そうなのだ。
ジーンは身も蓋もないコンセプトなのである。
しかし、筒井さんが作品に書いたように、ぼくも書いた。
いや。
筒井さんもぼくも何ものか・・・それを宇宙意志と呼んでもいいし、
GODでもいい・・・何でもいいのだけど、
書かされた
のだ。
ということは、ですよ。
人類に対して、何らかの意味があるからだと思う。
だってジーンのような危ない本を、天下の大出版社から出せるとは
つゆ思わなかったのだから。
ではその意志とは、何か。
『モナドの領域』GODが語るように
「愛」
のためなのだ。
「わしが存在している理由はね、愛するためだよ。わたしが
創ったものすべてを愛するためだよ。当然だろう。すべては
わしが創ったんだ。これを愛さずにいられるもんかね」
(『新潮』2015年10月号、p.104)
繁盛しているブランドも、衰退してしまっていまや人の記憶の
中にしか存在しないブランドも、その記憶からさえ消えてしまった
ブランドも、すべては存在そのものに意味があり、愛があり、
「良いこと」なのだ。
ぼくは今日ほど、『ブランド・ジーン』を世に出してよかったと
思った日はない。
そして筒井康隆さんへの感謝も。
ありがとうございます。