好きなことで食べていくのは大変である。
スポーツや音楽をやっている人で、そういう人は特に多いのかもしれない。
あるいは、独立したばかりのコンサルタントといった職業もなかなかハードだ。
だから仕方なくアルバイトやったり、就職したりして、食べていく
ためのお金を稼がなければならない。
好きなことだけで食べる。
魅力的だが、なかなか当人が思うようにはならない。
これを「そんなにうまい話、ほーーんの一部の人だからね。
自分の好きなことだけで食べていけるだけ稼げる人は」
という筋書きで語るつもりはない。
そうではなく、ぼくの立ち位置はこうだ。
たとえばA君が、ウクレレ奏者として独立してやっていきたい
と願っているとする。
しかし、思うように稼げない。
A君、あるIT企業にアルバイトで入り、スマホ専用アプリのプログラマーを
やることになった。そっち方面、嫌いじゃない。むしろ好きだからだ。
発想が面白いから、かなり素晴らしい業績を上げている。
その会社ではアプリ開発はチームを組んでやる。だいたい1チーム4人
編成だ。
4人でプロジェクトを組み、納期に間に合うよう、進捗状況など相互チェック
しながら仕事を進めていく。
A君、そのように「みんなで取り組む」ことは学生時代なかったので新鮮で、
とても楽しい。
社長からは「もう、正社員になったら?」
と声をかけられるほどになった。
この事象をどうとらえるか。
仮にA君がウクレレ一本で食べていけるだけ稼げたとしたら、
このIT企業の社長やプロジェクトメンバーとはまったく出会う
機会がないことになる。
そうなのだ。
「ウクレレだけで食べていけない」からこその出会い。
A君にとって、この出会いは必要なことなのである。
仕事は人との出会いを、つながりをくれる。
一本の仕事だけで終わっていたら得られなかったものだ。
A君がウクレレだけで生活できていたらどうか。
その場合は、先の出会いは「必要なかった」わけである。
だから、「好きなことで食べていけてない、複数の仕事やらないと
いけない」人はこう考えればいい。
周囲を見回してみよう。
複数の仕事のおかげで出会った人がいるはず。
その人たちに、感謝しよう。
出会うべくして、出会ったのだから。
また、そういう自分に不安になることもない。不満をつのらせるのも違う。
でも、人間だからいろんな感情が湧いて出てくる。
それでいいのだ。その感情も味わうために、「そうなっている」のだから。
ぼくは旭化成の晩年3年間、「複業」と称して、コンサルタントや文筆の
仕事もやっていた。
グロービスの講座開発や講師の仕事もやっていた。
不全感はあった。未消化の感情は山ほどあった。
それでもいまだから、わかる。
すべて、必要な「感情の味わい」だったのだと。
独立したばかりのとき、ある相談があって、同期で仲の良かったN君を
呼び出し、食事しながら話をしようとした。
店で席に着いたとたん、N君は、こう言った。
「どうしたん。もう、お金の相談かいな。早いなー」
大企業に勤務するからこその上から発言。
このことを思い出しながら、あらためていま腹たってきたのだが(笑)、
N君のこの言葉があればこそ、その後、歯を食いしばって異国のニューヨークで
がんばれたのだ。
N君には感謝しないけどね。