「うん。払うもん全部払って、あとはもらうだけ、ってのは気持ちいいもんだなあ。
なに、こちとらにも覚えがあらぁ、待ってやったってバチは当たんねえや。
あっちにもいろいろ都合があんだろうから」
毎年、この時期になると聴くのが談志家元『芝浜』、その一節。
「ちょっとおまぃさん、商いに行っておくれよ。釜のふた開かないよ」
から始まる商売繁盛物語だ。
今日は久しぶりに『鼠穴』(2006年12月時事通信ホール収録)
を聴いた。
ある若い人が勧められて聴いたけど「何を学べばいいのかわからない」
と言っているのをネットで見たからだ。(→クリック!)
そうだろうな、この話、彼にはわからないだろうな、というのがわかる(笑)。
談志家元の「落語は人間の業の肯定」という名言をさらに詳しく解説
するような一節も挿入されている。
「常識なんてものはほんの薄っぺらいもので、人間はもっと複雑、
どうしようもないものを抱えている。そしてそれをやっていいのが
アートとスポーツ。普通、ぶったらダメだけど、ぶっていいようにした
のがボクシング」
『鼠穴』も、人間の、どうしようもない業というものを描いている。
そう考えると、先般触れた、独立したてのときのN君の傲慢な態度も、
クリエイターとしては肯定しなきゃならないんだろうね。
そうそう、ぼくは肩書き、変えました。
コンサルタント
から
クリエイターに。
てか、どーでもいいんだけどね。肩書きなんか。
歯が抜けて、歯ごたえが人生の中から「不要」なものになって
歯ごたえフリー。
髪も抜けてきて、髪の毛フリー。
悩みがないので悩みフリー。
経営者なので、ボーナスフリー。
フリーになっていくと、ほんと、楽だ。
肩書きなんて、自分を縛るサムシングでしかないわけで。
コピーライターとか
コンサルタントとか
デザイナーとか
規定したとたん、サイズ小さめのTシャツを無理して着込む
イキった感じになるのかもしれないね。
自分が一番こだわっているものを「**」として
「**フリーになった自分」
を想像すると、すっごく楽になれるかもしれない。
『鼠穴』で、火事になり、せっかく築いた蔵が三つとも全部焼け崩れてしまう
シーンがある。
楽になれるね。きっと。
そして、楽になったとき初めて、クリエイティビティはMAXになる。
フリーということに対してあれこれという人のその極みが会社員でしょうか。会社員という名の枠にいれば安心を感じるからあれだこれだと枠を壊されないようにする。それゆえに破壊するものは悪だとして排除する。今の日本を取り巻く環境はこのような枠の中にいれば安心ばかりを押しつけてきた結果では無いいのかと思います。
小さなTシャツで生かされるようになっているから大きな発想も出てこないのだと思います。