1. 人類が化石になる日

至準化石というものがある。

それによって地層の地質年代を特定することができる化石のことだ。

たとえば、ある種のアンモナイトが発見されるとジュラ紀、

三葉虫が発見されるとカンブリア紀とわかる。

至準化石には条件がある。

福岡伸一先生によると、以下の三つの条件という(*)。

・現生しない生物であること

・分布範囲が広く、容易に多数発見できること

・短期間のみ栄えた生物であること

*芸術と科学のあいだ、木楽舎刊、p.145

そして、福岡先生は、文章をこう、締めくくっている。

「何億年か先、人類は至準化石となる可能性が高い」

まったく同感である。

2.  母校学園祭で飛び入り演奏してやろう

朝からニューヨークジャピオン用コラム原稿を書き、メルマガSurfin’書き、

もう一本、ブランドマネージャー認定協会から依頼されている原稿を

書こうかと準備していたらふと直観が降りてきた。

「阪大へ、行け」

ん? 阪大石橋キャンパスはここ40年近く行ってない。

石橋は教養時代の2年間通ったキャンパスで、学部に上がってからは

北千里の吹田キャンパスである。

天気もいいし、原稿は連休中また書けばいい、散歩がてら、出かけてみようか。

久しぶりの阪急電車もいいしね。

そういえば、今朝掃除していたら書棚から有川浩の小説『阪急電車』が

浮かび上がっていたなあ。

ぼくは論理より直観に従うことにしているので、うきうき出かけた。

いついかなる時でも、紀伊国屋書店ビッグマン横のエスカレーターに乗って

阪急うめだ駅改札へ向かうときは気分が上がる。

車中、水木しげる先生『人生をいじくり回してはいけない』を読んでいたら

眠くなって寝て、気づいたら石橋だった。早いでしかし!

石橋駅、そういえば、2012年正月に一度某クライアントのコンサルティングで

降りたことがある。クライアントが箕面だったので、乗り換え中継駅として。

何も考えなくても、体が覚えているものだね。自然と降りたホームから

阪大まで足が動いた。周囲の景色は相当変わっているんだけど。

待兼山の坂を上がる。

歴史的建造物、大阪大学会館(旧・イ号館)

歴史的建造物、大阪大学会館(旧・イ号館)登録有形文化財

にぎやかだ。

なんと! 今日は年に一回の学園祭「いちょう祭り」の日だったんだ。

直観は怖いね。

堂々とキャンパス内に入ることができる。

パンフレットももらって。

1977年入学だから、40年近くなる。

アカペラのサークルがストリートライブやってる。

ぼくは軽音ロックにいたのだけど、当時アカペラなんてサークルはなかった。

軽音ジャズがライブやってる。

置いてあった帽子にカンパのお金(小銭だけど)を入れた。

あとで反省した。カンパ帽子の前に座っている担当の学生の目を見て、

「応援してるよ!」

くらい言ってカンパすればよかった。

照れくさいのだ。

サークル活動の部室があった学生会館はいまもあって、落研が阪大寄席していた。

奇術研究会が大集会室で。

このむさくるしい感じ。

いいねえ。

そして、やってきましたよ軽音喫茶Rockライブ。

ここって、以前「ロ号館」と呼んでいたところじゃなかったかな(イロハのロ)。

実はこういうこともあろうかとポケットにブルースハープを一本、忍ばせてきている。

先輩の特権で、ライブに飛び込みしてやろう。

ところが、ですね。

曲が木村カエラちゃんのカバーなんです。

おっちゃんには無理だ〜。

ステージにはかわいい女の子がリードボーカルで、おそらく彼が音楽的リーダーであろう

エレアコと、エレキギター、ベース、そしてキィボード、ドラム。

ドラムの彼がMCしている。彼が木村カエラファンで、それでこうなったらしい。

全体的に「照れ」が感じられて、微笑ましい。

だれも観客を見ない。

ボーカルの子は、演奏が終わったらしゃがんで何かうつむいて、見てる。

そういうところも、百戦錬磨おとーさんには微笑ましいのだ。

そういえば、この「教室ステージ」に入るにはワンドリンクを注文しないといけない

のだけど、ジンジャエール200円頼んで、釣りは要らないと言ったら窓口の男の子が

「それは困ります」という。

「いやいや、オレ、ここの先輩だから」

と言ったら受け取ってくれた。

たかだか800円で、「先輩だから」もないもんだと思い出しては汗が出てきた。

演奏聞きながら、このバンドたちの中で、「プロとしてやっていきたいんです!」

という子たちがいたら、JOYWOWとして支援してもいいな、と思う。

その一方、「いや、これはあくまで学生時代の遊びですから。ちゃんと就職しますから」

と言われそうだなあ、とも思う。

結局、ブルースハープで飛び入り出演もかなわず、やたら爽やかな軽音ロックをあとに

した。『Snowdome』よかったよ。

まーそうだよね。わしらの時と同じようにディープパープルとかレッドツェッペリンとか

ストーンズとかユーライアヒープとかフリートウッドマックとか、やるわけないもんね。

喧騒をあとにし、待兼山に登ろうとしたら、猪が出たらしく、入れないようになっている。

待兼山でせっかく持ってきたブルースハープを吹いてやろうと思っていたのに。

仕方ないので、電車乗って、うめだに帰ってきた。

3. 非連続な未来

阪急百貨店前の紀伊国屋で何かないかと物色していたら、川上弘美の新作

『大きな鳥にさらわれないよう』(講談社)

に出会った。帯の推薦文を筒井康隆が書いていて

「僅かな継承によって精緻に描かれてゆく人類未来史。

ファンタジイでありながらシリアスで懐かしい物語たち。

これは作者の核である。

うちのめされました。」

筒井さんが「うちのめされた」とはどんな作品なのか。

ページをめくる。

立っている足が震えだした。

あわてて、本を閉じた。

何か、見てはいけないものを見てしまったような気がしたのだ。

阪大でぼくが体感してきたものは、未来への希望である。

40年前とは、価値観も違う(ストーンズ→カエラ)が、それでも、

ぼくのいた1977年代と何かしらの連続性を感じ、それは継承という言葉があてはまると

思っていた。

いや。

「思いたかった」

というのが正確だったのだと川上弘美の出だしの数ページを

立ち読みして、思い知らされた。

いまから数世紀未来のその世界では、「日本」という国がかつてあったというのは

古文書にしか記されていない。

「この地域の工場は、百年前にできたという。よその地域の工場も、同じようなものだ。

一番古い工場は、数百年ほど前につくられたと聞くが、もう今はない。さらに以前は、

『国』という大きな単位の地域のまとまりがあって、そこは『日本』と呼ばれていた。

『日本』のほかにも、数えきれないくらいたくさんの『国』があって、それらすべてに

名前がつけられていた。みんな、古文書を読むのが好きな夫から教えてもらったものだ。」

(p.12-13)

「工場では、食料を作っている。それから、子供たちも。

 子供の由来は、ランダムだ。牛由来の子供もいれば、鯨由来の子供もいれば、

兎由来の子供もいる」(p.13)

「今日、私が来た。

扉を開けると、私よりもずいぶん若い、髪を伸ばした私がいた。」(p.21)

まだ全部読んでいないのでわからないことだらけだが、何らかの原因によって、現在の

人類は滅びたようである。

価値観、たとえば「愛」とか「親子」とか「友情」とか「未来」とか「過去」とか

についての価値観が現在とはまるで違っている。

「仕事」も、違っている。

この世界と、現在ぼくたちが生きる世界とは非連続だ。

一瞬にして、この居心地悪さに恐れをなし、ぼくは本を閉じたのだった。

あわてて店を出て、阪急から地下鉄御堂筋線へつながるエスカレーターを降り、帰路に

つこうとして、歩く。

胸の中に苦さが広がっていく。

どうしても気になって、途中にある旭屋に立ち寄り、そこにあったら買おうと思った。

旭屋にはなかった。

ええい! 仕方ない。

また、日曜夕方の雑踏の中を逆戻りし、阪急百貨店前の紀伊国屋書店へ。

買った。

店を出て、雑踏の中、あわてて本のページを繰る。

知っている人ならわかるだろうが、阪急百貨店と紀伊国屋書店の間の通りは平日でも

すごい人通りだ。まして日曜夕方である。

ちょっとひっこんだ三井住友銀行前に立って。

それでも、むさぼり読むとはこのことだ。

ぼくの中にある、

「何億年か先、人類は至準化石となる可能性が高い」

というメッセージが、読め、と命令する。

4. 子供たちの40年後といまは連続しているのか?

1977年5月1日のぼくと2016年5月1日のぼくとは連続していた。

しかし、それはぼくだけの話なのではないか?

いや。そもそも ほんとうに「連続」しているのか?

1977年5月1日の阪大生と2016年5月1日の阪大生とはどうか?

連続していない。

1977年5月1日の阪大生に「君は未来をどう見ている?」と質問すれば、

何らかの答えが返ってきただろう。

就職する、研究者になる、技術者になる、ドクターになる・・・・

2016年5月1日の阪大生に同じ質問をしたとする。

どんな答えが返ってきただろう。

ぼくは40年の時を経て、キャンパスに帰ることができた。

40年後の2056年5月1日、2016年5月1日の阪大生たちは、いちょう祭りに

行くことができるのだろうか。

未来はだれにもわからない。

わからないが、責任は、ひとえに、いまの大人たちが一番担わなければならないだろう。

つまり、ぼくや、いまこのブログを読んでくれているあなたが。

そういえば、待兼山では、マチカネワニの化石が発見されている。

http://bit.ly/1pWlzSS

55万年前に生息していたらしいよ。