能も住する所なきを、まづ花と知るべし。
(風姿花伝 第七 別紙口伝)
簡単に言うと、
昨日の自分をコピーしない
ということ。
マーケティングとかブランドとかリーダーシップとかやってきたけど、
いま書いてる本は
ロックなあり方
だし、
11月から始めるオンライン講座(クリック!)は
成長するとは?
稼ぐとは?
生きるとは?
をテーマに、哲学をやろうと考えている。
昨日の自分をコピーしてないつもりだ。
哲学といっても、首から上だけじゃないよ。
この前、高校生クイズ見てて、気持ち悪かった。
なんかさー。オレの頃の高校生クイズは
「アメリカに行きたいかーーーーーーー?」
「おーーーーーーーーーーーーーー!!」
「みんな、燃えてるかーーーーーー?」
「おーーーーーーーーーーーーーー!!」
だった。
高校生らしい若いエネルギーが満杯だった。
それが、なんか、
「ほんとにこいつら人間?」
という感じの気持ち悪い生物が画面にいて。
アタマいいのかもしれないけど、ぜったい社員にしたくない。
友達にもなれない。
猛烈にディスってるけど、これ、正直な気持ちだよ。
身体性を感じない。
哲学とは、生きることだ。
体全体使って。
オンライン講座では、そこを重視しようと思ってる。
だから、首から上だけじゃなく、オフ・ワークショップも各地でやる。
受講生はワークショップ参加費無料だ。
是非、参加してください。
11月からだけど、もう、グループ内では阪本の投稿が始まってます。
以下が、今朝の投稿。
【見えないものを見る】
能舞台(写真は先週行った山本能楽堂)には、何もありません。
観客正面に松の絵があるだけ。
左手に橋掛かりというあの世とこの世をつなぐ橋がある。
ハリウッド映画のような大掛かりな演出はまるでない。
能の舞にも、意味はない。
フラダンスならば動きに「喜び」「降雨」などの意味があります。
つまり、観客がAR(拡張現実)を自分の脳内で創造していくのです。
能を「見る」ではなく、能と共に「生きる」。
これ、ものすごく大事で、「生きる」ことをじゃましないために、
何もない舞台なのです。