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【ロックな日日 March3 : オレの思想と生き方と作品が初めて一つになったもの】
ロック本のため「人の死に様」について取材した。
思想の通りの臨終だったか? 思想が体に入っていたか?
参考になったのは山田風太郎『人間臨終図巻』。
吉田松陰は獄中でも『孟子』を講じていた。
儒教の教えが体に入っているものだと思っていた。
遺書『留魂録』冒頭は有名だ。
「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも
とどめおかまし大和魂」
かっこいい。
ところが、処刑場に連れて行かれるとき、
「誠に囚人気息荒々しき体なりき。直ちに仮牢に押入れ、
立ちながら本縄に縛せり。予(よ)これを視るに吉田寅太郎なり。
・・・吉田もかく死刑に処せらるべしとは思わざりしにや、
彼縛ラルル時まことに気息荒く切歯し口角泡を出す如く、実に無念の顔色なりき」
(同じく志士として入牢していた世古格太郎の目撃談)
儒教は社会との遠近法をテーマにする。
人の上下を大事にする。
死については語らない。
間接的には語るが、見えないものについては語らず、
と孔子先生がおっしゃるものだから、あまり触れられない。
オレがタオ(道、老荘思想)を見直したきっかけは、これだ。
タオは、生死を超える。
小林秀雄『本居宣長』は、宣長の遺書から始まる。
宣長の遺書こそが思想そのままを生きた証と判断したのだ。
といって、宣長がタオの思想を奉じていたわけではない。
彼はいまでいう音声言語学者だ。
日本人の書き言葉と話し言葉の分離をテーマにした。
タオではないとしたら、宣長は、何だったのか。
ロックンローラー。
宣長、自分の葬儀について事細かく指示している。
墓を樹敬寺(じゅきょうじ)と妙楽寺の2つに作れ、
葬儀の際は空の棺桶を運べ、など。
墓のデザインまで描いている(写真)。
これには幕府の役人も
「ちょっと待ってくれ。なんで空の棺桶をわざわざ山の中、運ぶんだ?」
と許可しなかった。
ロックだ。
そう、ロックとは、思想が本当に、本気で体の中に入っていることを言う。
本もそうで、オレの著書、ロック本まではやはり思想と生き方に「スキマ」があった。
マンボ本(ブランド)は相当近かったけど、でも、それでもまだあった。
ロック本は、オレの思想と生き方と作品が初めて一つになったものだ。
まだ読んでない人、買ってね(結局宣伝かいっ!)
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