1982(昭和57)年頃かな? 女友達のCちゃんから
「けーちゃん、旭化成でしょ?
サランラップの芯ロールが飛び出して困るんで、
箱の両端を外から指で押して、
それがストッパーになるよう改良してよ」
とアイデア提案された。
確かに。
ところが同じ旭化成でもオレは建材であり、サランラップは扱ってない。
同じビル内にあるサランラップ販売に行き、
同期はいないものの、顔見知りに聞いてみた。
「・・・こういう話、どこに持っていったらええんやろなあ」
彼も戸惑ってる。
「オレ、販売やから」とも付け加えて。
Cちゃんのナイスアイデアはそんな感じで
旭化成の必要な部署には届かないままだった。
さて、現在、そのアイデアは実現している。
サランラップ販売の特許になっているかどうか知らない。
http://tokkyoj.com/syutu/390017949.html
を仔細に読み込めばわかるのだろうが、
日本語だけど日本語じゃないのでオレにはわからん。
政府支給のマスクを楽しみにしているのに5月28日現在、
我が家には未達のままだ。
Cちゃんのアイデアが必要な人に届かなかったのと、
マスクがまだ届かないのと。
この2つは同じ理由だ。
そこで働く人に悪意があるわけではない。
能力が足りないわけではない。
では、社内イントラが整備されていたら
(82年当時は無理な話なのだけど)
できたかというとそうでもないのがこの話の深いところだ。
社内イントラを構築するのに、基本、リアルな組織図を元に
アーキテクチャーが設計される。
なので、情報という血液がサラサラになって流れるのは同じ部署内だけであり、
部署をまたぐと血液ドロドロになる。
マスクが届かないのも、Cちゃんのアイデアが届かなかったのも、
部署の壁にある。
そしてこの「部署の壁」というのは、何か流れるもの(マスクやCちゃんアイデア)
が流れなくなって初めて可視化される。
そこが特徴であり、だからこそ、気づきにくく、病巣の発見が遅れる。
人の悪気とか、能力とか、可視化しやすい話ではない。
組織の血流中にe(デジタル)が入って久しい。
久しいが、血液サラサラかというと、そうでもない。
この話、「では、部署を解体したらいいのでは?」という解でもないのだ。
何をすればいいのか。
一番やっかいなのが、人のアタマの中であり、意識の変化だ。
だから、人の意識が変わることなく仮に部署だけ廃止したところで、
血液サラサラにならず、かえって混乱する。
その、人の意識の変革をどうすればいいのか。
この問いに、一つの答えはない。あるわけない。
各組織ごとに診断、処方、治療していくしかない。
一番の怖い問題は、繰り返しになるが、
何か流れるもの(マスクやCちゃんアイデア)が流れなくなって
初めて可視化されることであり、通常は気づかないまま。
迷惑を被るのが顧客であり、顧客は黙っていなくなる。
クレーム言ってくれる人がいればまだ良いのだが、
黙っていなくなるだけだと組織はそのまま気づかず平常運転する。
なので、クレームは歓迎するべきだし、
「何かつっかえた!」というトラブルこそ歓迎すべきなのだ。
平常運転されている時が一番コワいのである。
あと、一人ひとりが「ムキ出し」になるのがe(デジタル)の力。
ハダカになったとき、その人の仕事の視点が「ソト」に向いているか。
「ウチ」にだけ向いていると、危険であり、その人の成長にもつながらない。
なんだか大論文になりそうなので、今日はここまで。