デリDuke。
ここは本当に重宝した。
何しろ、いつ行ってもやってる。
深夜1時であろうと、早朝(朝5時とか!)であろうと。
ホテルが51stで、たしか51st沿いの、7Aveから6Aveの間にあった。
ホテルの朝食は、洋の東西を問わず価値に比較して高いので、いつも ここに食べに来ていた。
何でもある。
温野菜、やきそば、グリーンサラダ、パン、チョコレート、
うどん、すし、 パスタ、パンケーキ、コーヒー、ビール、ジュース・・・
すしコーナー、パスターコーナー、うどんコーナーなど、
コーナー ごとに分かれているのだが、全部が機能していた時には、
結局一度も 出会えなかった。
まあ、ぼくが行く時間が問題なのかもしれない。 何しろ朝早くが多いから。
ちゃんとした時間が時間なら全部が「へーい、らっしゃい!」となったのか わからない。
しかし何しろここはニューヨークなのだ。
まともな仕事に出会えると 思ってはいけない。
レジにいるのは基本的に韓国系の人が多かった。
帰りの朝、空港へ行くのに、お迎えのリムジンが7時半にくるから、6時に 行った。
するとなじみのないおじさんがレジにいて、隣にはなじみの兄ちゃん がいた。
おそらくおっさん、新人なんだろう。兄ちゃんがあれこれ世話焼いてた。
ぼくは今日でもうここには来れないけど、新人おっさんのますますのご健勝を 祈って、
店を後にしたのだった。
おっさん、ぼくとおない年くらいの年齢だから、まさか「新卒」なわけなく、
何かの事情で、前の仕事から転職してきたんだろう。
同じ韓国系ということで、その後乗ったリムジンの運転手さんを思い出した。
というか、その日はその後リムジンに乗ったので、運転手さんと再会したんだけどね。
再会というのは、ニューヨークNewark空港へ到着したとき、空港に迎えに来てくれた
のが 彼で、そのときは、「帰りは別のドライバーが来るよ」と言っていたはずなのに、
同じ人が来ていた。
何でも今朝早く連絡が入り、「君はサカモトの顔を知っているから、もう一回 行ってよ」
となったんだそうである。
あれこれ話した。
基本、無口な人なんだけど、温厚で、家族思いだということは 話して、すぐにわかる。
初対面の人と話題を探すとき、人はやっぱり自分の得意な話題から入るからだ。
彼は家族の話題から入った。
「あなたの家族は、今回の震災で大丈夫だったか?」 大丈夫だよ、ありがとう。
ドライバーの自慢は頭脳優秀な娘さんで、フルブライト奨学金をもらって、
えーと、どこやったかな、聞いたときは「うへー! すっごくあたまいいやん!」
という大学だったんだけど、いまとなってはすっかり忘れてしまっている
どこかの大学で英語を研究している。
彼女が自慢なんだけど、「娘がいるからさ、働かなきゃならないんだよ」と 言う。
困ったように言うけど嬉しいし、自慢なのだ。 微笑ましい。
とってもいいドライバーで、韓国はソウルがふるさと、
10年前にニューヨークへ 移民してきて、以来、祖国に帰ったのは、
お母さんが亡くなったとき一回きりという。
いろいろ話していたら、あっという間に空港に着いて、マンハッタンから
わずか30分 しかかからなかった。
「日本が大丈夫なことを祈っているよ。復興を祈っている」
ドライバーのあたたかい言葉が、胸にしみた。
Thank you, Mr.driver.