その店は、いかにも「老舗」という風情で、いい感じに暖簾が古びていた。

引き戸を開けて一歩店内に入ると、背中を向けた老職人が立ち上がり、

カウンター向こうにいたおばあさんが「いらっしゃい」と言った。

ここで、ぼくは「スミマセン、間違えました」と店を出るべきだった。

仕方ないか、とカウンターに座ってカツ丼、連れはカツカレー

を注文した。客はぼくら2人だけである。

エアコンの風がビュンビュン当たるので、寒い。

カウンターの上はほこりだらけ。

カウンターはベタベタしている。

どうにも寒いので、

「スミマセン、エアコンの風が・・・」

と言うと、職人が奥さん(おばあさん)に

「向き、変えてあげて」

おばあちゃんがリモコンをよちよち触るが、わからない。

しょうがねえなあ・・・という感じで職人が老眼鏡をつけつつ、

リモコンをいじりはじめるが、わからない。

厨房ではカツを揚げるチリチリした音が聞こえる。

リモコンに手間取るあまり、カツが揚がりすぎるとか、ヘンになったら

元も子もないので、「もう、いいです。切っちゃって下さい」

とお願いした。エアコンは切れた。

ビールを頼んで、出て来たコップに小さな虫がついていた。

もう1つのコップも、ベタベタだった。

要するに、悪気はないのである。

年齢で、目がよく見えないのだ。ほこりも、ビールグラスも、カウンターも。

ついでにエアコンの使い方も。

では、この店はどうするといいのか。

引退である。

ビジネスモデル、そのビジネスを支えるコンセプトが寿命を迎えたとき、

重要なのは見極めるタイミング。

実はAppleのアプリも、「無料化」によって、Appleのビジネスモデルに

寿命が来始めている。たとえばアマゾンはKindleアプリを無料化すること

で、Appleにマージンを支払うことなく、拡散できている。

アンドロイド携帯でも同じく無料だから、Kindleデバイスを持っていなくても、

すべてのスマートフォン、タブレットがKindleリーダーに変わってしまう

戦略だ。

アプリが無料化すると、マージンが取れない。これはAppleにとって、重要な

コンセプトの寿命が尽きつつある現象だ。

同じように、あちこちで、「コンセプトの寿命が尽きた」業界が生まれて来ている。

本にまつわるバリューチェーンも、そうだ。

たとえばぼくの場合、一冊の本を書くのに9ヶ月かけたとしよう。

9ヶ月後、本になった。

書店に平積みされるのは「出足」が悪い本だと、3日で消える。

270日かけた制作物が1/90の3日で消える命運。

げんに、18ヶ月かけて翻訳した力作『祝福を受けた不安』、書店店頭で

1回も見かけないままだ。

「顧客」である読者も、速度感が格段に上がっている。彼らが求めるのは

鮮度だ。

それを受けて、書店は常に鮮度よい店頭ディスプレイにしようとする。

まるでコンビニのように。

するとどうなるか。

書店ビジネスは、ますます棚貸しになって、「仕入れへの眼力」などに

付加価値がつかなくなる。

一方、本を大量に在庫しておこうとすると、資金が眠る。出版社なのか、

取り次ぎなのか、書店なのか、だれが負担するにせよ、お金が動かず

眠ってしまうことになる。

100万円の在庫(本)がきれいに売りつくされるまで30日、書店の棚にあ

るとすると100万×30×1/2=1,500万円の資金が眠ることになる。

つまり、100万が15倍に膨らむのである。

この資金滞留期間、ビジネスとしてはしんどい。

著者としても、9ヶ月かけて自分の時間、頭脳、体力などの「経営資源」

を投入しても、たった3日で消えてしまうのであれば、こんな

「割りの合わない商売はない」。

本というビジネスモデルは、まじに、寿命が来ているのかもしれない。

冒頭のカツ屋さんのように。

ぼくはだから、電子メディア出版社を自前でもち、「産直」で

鮮度良い作品を、送り出すことにしている。

愛する紙の本の復活、こころから願っているんだけどね。

浅草花やしきにて

浅草花やしきにて