アオザイで歩いてる人がいて、素敵だった。
 
日傘さしてるからマスク着用かどうかわからないのだけど、
 
アオザイとマスクは似合いそうだ。
 
かと言って、ホーチミンやダナンでアオザイ美人が
 
マスクしている姿を見たかというと自信がないんだけど、
 
アオザイ=ベトナム=マスクというのは
 
ぼくの中で親和性高い連想なんだよね。
 
企業がたっぷりの予算を使う広告宣伝、
 
つまり新規顧客獲得の方法はここ20年、
 
テレビコマーシャルなどマスメディア
 
との親和性高い連想の域を出てない。
 
これはなぜかというと、社員の皆さんがみんな高学歴だからである。
 
学校にきちんと通い、勉強もしっかりする秀才は
 
「答えが必ずある」という思考回路になってる。
 
つまり、仕事に関しても「前例」が最適解だという
 
親和性高い連想になっているのだ。
 
「自由に発想してくれるようなクリエイティブな人材が欲しい」
 
とタテマエで言っていても実際はリクルートスーツ着た
 
「答え探しの名人」を採用する。
 
デジタルが社会の血液になり、
 
生まれついてのオンラインネイティブは、
 
そもそも現在の学校教育は苦痛でしかない。
 
なぜなら「答え通り」にしなければならないから。
 
集団で声を合わせて挨拶させられるし、朝礼なんてのもあるし、
 
みんなで揃って教科書を音読しなきゃなならない。
 
早い話が、おもろない。
 
「人と同じ」ことをさせられ、
 
何年も前に出た答えしか載ってない教科書を暗記させられ、
 
テストされる・・・・。
 
不登校、登校拒否するほうが自然で、素直な子どもなのだ。
 
これからの社会は、
 
「成果がどこにあるのかわからない問い」
 
「どこに行くのか不明なプロジェクト」
 
が求められる。
 
一言でいうと、ロックな発想が必要なんだ。
 
そういうときに力を出すのは、学校が嫌いな子どもたちである。
 
学校が好きで、先生の言う通りに「なぞる」ことの得意な子どもは
 
AI(人工知能)に置換される。
 
ちゃんとする
 
間違わない
 
ならAIのほうが優位だ。
 
ちゃんとしない
 
間違う
 
人間だからこそ生み出せるクリエイション。
 
新型コロナは終わってない。
 
それをなんだかんだ言葉を言い換えて
 
(たとえば『新モニタリング指標』など))
 
ごまかし、要するに経済最優先をやろうとする秀才たちより、
 
オンラインで世界中の仲間と遊んでる不登校の子どもたちのほうが
 
よほど可能性が高い。
 
「答えのない、成果が見えない」仕事を生み出していこう!
 
ちゃんとしないで、
 
間違おう!