大原孫三郎の業績は数あるが、現代的な視点から見た時、二つ特記すべきものがある。
第一に、機会を的確につかんだ企業家としての眼力。
ジェームズ・ワットの蒸気機関が産業用として人類史上初めて綿紡績に使われたのが
1785年、これが第一次産業革命だ。その後1829年に鉄道が発明され、1839年
に料金前払い制の郵便制度が発明され、電報が発明されることで、「人の移動」と
「情報伝達速度」の革命がなされたのが第二次産業革命。
大原孫三郎が父孝四郎の創業した倉敷紡績を継いだのが27歳の時、
1906(明治29)年だった。
つまり、第二次産業革命の余波が日本に到達した波を的確にキャッチしたのだ。
そもそもマシンの日本語訳「機械」は「機織り」からきている。孫三郎の事業は
当時のハイテク産業だったわけである。
孫三郎の特記すべき現代的な業績の第二は、職場コミュニティを作ったことだ。
工場労働者は女性が主だった。だから女子寮を建て、学校や病院も建設し、
地方から出てきた彼女たちにとって、大切な生活と働く場としての共同体を
用意したのである。明治40年、岡山の師団が設置され、一個連隊が倉敷に
も配置されることになった時も、軍が来ると女性の多い地の風紀が乱れる、と、
孫三郎は反対したという。当時の社会常識からすれば「あり得ない」判断
だった。しかし断行した。
いまに残るアイビースクエア、大原美術館には、孫三郎の企業家
としての躍動感をしのぶことができる。
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