映画『ハーブ&ドロシー』(→クリック!)を観て来た。

不勉強で、まだ観ていなかった。

いつもぼくにナイスなインスピレーションをくださる

株式会社802メディアワークス)
取締役
藤村 滋弘

株式会社802メディアワークス取締役・藤村滋弘さんと

先週お目にかかった折、教えて戴いた。藤村さんは、

さらに、この映画の監督佐々木芽生さんをも紹介

戴いて、何とニューヨークでお会いできる運びになった!

行ける日は今日しかないので、渋谷イメージフォーラムへ。

素晴らしかった! 終わって、映画館を出てすぐ、iPhoneに

録音メモしたのが、次の3つ。

1. ハーブがクラシックな黒電話を受話器に置くところを上から俯瞰して

撮るシーン ・・・クリストとジャンヌ=クロードが、『たった一回夕食を共にするだけ

で半年間のNY美術界の動きがわかる』と激賞した情報力の基盤が、クラシックな

電話がつないでいたことを知り、響いた。

2. 彼らのコレクションがずーーーっと画面の上部から下へ流れ、パッツパッツパッ

と画像がそれにリンクして映るシーン・・・コレクション数を示すカウンターが説得力を増した

3. ラスト、ドロシーがマックを買いに行き、店のスタッフに明確に自分の欲しい

スペックを説明するシーン。「○○ドルと●●ドル、どう違うの?」

・・・ドロシーの「ありかた」(being)がよくうかがえる。

パンフレットから。昔のNYを観ることができるのもこの映画の楽しみ

パンフレットから。昔のNYを観ることができるのもこの映画の楽しみ

この映画を「美術コレクターのノンフィクション」としてとらえると狭くなる。

もちろんそうなんだけど、ハーブ&ドロシーがなぜアートをコレクションしていた

かというと、「分かち合うよろこび」のためなんじゃないかなあ。

しあわせって、一人じゃなかなか感じられないよね。

喜び、感動、哀しみ、困った・・・こういう人間ならではの感情をだれかと

分かち合えること。これって、しあわせだと思う。

この映画のパンフレットに松浦弥太郎さん(『暮らしの手帖』編集長・文筆家)

が寄せておられる文章に、こんなくだりがある。

暮らしに大切なのは、何よりも友だちを作るちからだと。

友だちを作るちからとは、よいところを見つけるちからです。ここで言う友だち

とは、人だけではなく、動物や植物はもちろんのこと、道具やモノ、

自然など、身の回りにあるものすべてです。

よいところを見つけたとき、人は誰でも感動をする。感動すれば、人は

それを隠すことはできません。言葉や表情、行動で、その嬉しさが湧いて

出る。湧いて出るものは、言葉で表すことのできない魔法のような、

まわりをしあわせにするあたたかい何か。

たまたま昨日、ウディ・アレンの『ラジオ・デイズ』を観ていて、20年ぶりくらい

に観たんだけど、20年来とらえていたぼくのこの映画に対する考えが

コロッと変わっちゃった。

「古き良き、ラジオの時代をノスタルジックに懐かしむ映画」

だととらえていて、それはそれで正しいのだけど、それだけじゃない

深いテーマを発見した。

それは、「分かち合うことのできるしあわせ」。

偶然だけど、素敵なセレンディップだけど、『ハーブ&ドロシー』

からも、このテーマを感じた。ハーブ&ドロシーは、もちろんアート

を「手で触れる物体」として愛しているが、それだけではなく、

そのアーティストたちとの対話や、彼らが背負っているいろんな

ストーリーをも分かち合ってきたんだろう。

だから、自分たちのコレクションをお金に換えるなんていうのは筋違いも甚だしい、

というか、お金に換える意味がわからないのかもしれない。

「自分たちは二人とも公務員で生計を立てて来た。

だから(寄贈したコレクションがお国の役に立てば嬉しい」

という趣旨のセリフがあったが、物体としてのコレクションは寄贈

して手元から「巣立って」いったとしても、若いアーティストたちと

シェアした思い出、分かち合った時間は消えてなくなりはしない。

永遠に。