招かれ、講演した。会場に集った人は全員、都内と近郊の大企業社員である。
最後列にいたおっさんは、講演開始前から書類の書きものをしていて、
ぼくの講演中もずっと続け、途中で仕事が完成するや、会場から出て行った。
会場中ごろに座っていた若者男性はずっと寝ていた。
会場ぼくから右側の中段にいる同僚らしき女性二人組の一人はずっと
自分が持ち込んだ本を読んでいる。
途中退場がさらに二人。
一番前に座っている中年男性は、ぼくに顔を向けたまま、奥歯まで見える
大あくびを連発。講演に忙しく、残念ながらあくびの回数を測定できなかったが、
あれだけ大きな口を開けてあくびするのもさぞかし疲れるだろうと思う。
おそらくこの会場にいる大企業社員たちは、ふだんから自分たちの所属
組織の中で、「わたしは消極的にしかコミットメントできないし、するつもりも
ありません」電波を発信しているのだろう。
だからそれがデフォルトで身体にしみついてしまっているのだ。
上司、部下、同僚、取引先、そして家族、友人たちとの間でも、
このような「マイナスでもないがプラスでもない。敢えて表現すれば『私は世界
と何の交流もしたくありません」電波をまとって接している。
起きているけど、寝ている。
生きているけど、死んでいる。
質問コーナーでは唯一彼だけが質問したのだが、内容は
「阪本さんは『渇け!』とおっしゃいますが、ぼくたちは大きな企業にいて、
守られているじゃないですか。会社はよほどのことがない限り、つぶれない
ですよね。そんなぼくたちが渇けと言われても現実感がありません。
どうしたら渇けるでしょうか」
ぼくの脱力感、共感して戴けますか、皆さん。
思わず
「電池、抜いたろか!」
と叫び出すところだった(これはぼくが怒った時の口癖)。
あるいは、
「脱水したろか! そしたら渇くやろ!」
彼らが、たとえば地方の大学生が就活中にあこがれる「都内の大企業に
勤務している大人」の実態だ。
さて、昨日今日と、福島県に出張していた。
出発前は東京駅で、いきのいい大学生たちとミーティングし、
素敵な出会いがあった。ソフトバンクに内定したというW君は卒論執筆で
忙しいとのことだが、参考図書を検索していて、『共感企業』のことを知っていた。
もちあわせていたのでプレゼントしたのは言うまでもない。
彼らと冒頭の講演会における失礼かつ眠い大人たちとの質的な落差はどうだ。
ところが組織に一歩入ると、「眠い大人たち」が上司や先輩になるのだ。
若者たちが組織に絶望するのも無理はない。
彼らの作成したフリーペーパーの質の高さ。
こんな彼らの強みを活かしきる力を、組織ももたないといけない。
さて、「いきのいい若者」の話が出たが、この翌日、大学生よりさらに若い、小学生に
衝撃を受ける。つづきは日をあらためてこのブログで。