本を買いに出たついでに書店近所のドラッグストアで買い物した。
価格を赤い文字でうたう、いわゆる安売り店である。
買い物リストを持っていたので、あと一つ買えば済むのだが、それが見当たらない。
「すみません、クレベリン(→)、どこに置いていますか?」
「ああ。クレベリン、うち入ってこないんですよ。ちょっと前まであったんですが・・・」
「入ってこない? 品薄なんですか?」
「品薄かどうかよくわからないんですけど・・・。ノロが流行ったとき、たしかに品薄に
なりましたが・・・」
「? うーんと、クレベリン自体が、品薄なんですか? それとも何か事情があるんですか?」
「ちょっと前まではね、あったんです。でもうちに入ってこなくなりまして」
「・・・(これ以上話してもラチがあかないので)そうですか」
帰宅し、アマゾンで調べたら普通に売ってる。
ドラッグストアの彼、「ネットで調べる」ということすら、発想にないんだろうなあ。
顧客が欲しいのは「いま、店にない理由」だ。
何か疫病が流行していて、その関連で品薄になっているとか、花粉症と関係するとか、
メーカー自体に何らかの事情があって生産減しているとか。
要するに、「リアルな店ならではの、人から得られる情報」を求めている。
こうしてますます流通現場は、顧客の先端から遠のいていく。
商品なんて、いまやネットで何でも手に入る。しかも安く。
きつねどんべえですら、スーパーの安売りより安く、しかも送料無料で届けてくれる。
待てよ(Wait a minute)。
これにはメーカーの「流通選択」という意志が反映しているんじゃないか?
クレベリンは、別に「赤い価格」で売らなくても、充分売れる。
だったら、何もディスカウンターに卸さなくて、いい。
こういう判断は、あり得る。
そういえば、以前、アメリカ人映像作家と話していて、彼女は次作のDVDを
amazon.com(アメリカのアマゾン)には卸さない、と言っていた。
「ディスカウントされるから、やってられないのよ」
今日、ヨドバシカメラで、Kindleを探した。見当たらないので、案内の女性に
聞いた。
「当店では扱っておりません」
なるほど。
流通をどれだけ広くカバーするか
ではなく
流通をどのような意志によってフォーカスし、選択するか
が重要な時代なのだ。
それはもともとマーケティングのチャネル政策で重要視されてきたことではあるが、
ここにきてあらためて、「フォーカス&選択」という問題が浮かび上がってきたわけだ。
昔からよく言われている「集中と選択」という表現に言い換えると、なんだか
旧人類のオッサンが口にしそうでいやなんだけど。
これから重要なのは
「ここでしか買えない」(ここに行けば必ず買える)
という流通選択であることは間違いないようである。
選ばれる流通、置いていかれる流通。
多くの流通現場は、顧客の先端から遠のいていくのだろう。