原子力エネルギーの管理を、利益を追求することが当然の

目的である民間企業に任せていいのかということである。

そして、もし任せるとすれば、社会全体の利益を擁護すべき

国は、どのようにすればその企業に”社会的責任”を負わせることが

できるのかである。

「日本人はいまジレンマに直面している。もはや現実となって

しまったリスクを承知の上で、権力の座にあるエリートを盲信しつづける

のか。それとも持続可能な発展を選択するのか。どちらかを選ばなければ

ならない」(アンドリュー・デウィット立教大学経済学部教授)

以上は、フランスの「ル・モンド」からの引用だ。

雑誌『クーリエ・ジャポン』2011年6月号 p.102からの引用なので孫引きだけど。

同雑誌に森巣博氏のエッセイもあって、その中に現在の東電の姿勢を「利潤の私益化・費用の

社会化の典型例」と表現してあってその通りだと思った。

東電に限った話ではなく、日本にある電力会社みんな、そういうコトなんだろうと容易に推測

できる。

ぼくの会社JOYWOW最寄駅はみなとみらい線「元町中華街」で、これがまためっちゃ

深いところにホームをつくっている。原発がイってしまったから節電してます、という

ことで、エスカレーターが止まっていて、階段を下りなきゃならない。

これって、おかしいんとちゃうか?

エスカレーターにしても、照明にしても、本来、必要あっての設備のはずだ。

この点、今回再開した東京ディズニーリゾートのエネルギーへの取り組みは

大いに参考になると思う。だれか詳しくレポートしてくれないかな。

それはさておき、ホンマに電気、足らんのやろか?

「ほら、こんなに社会が不便になるでしょ? 福島の原発にこれほどまでに

私たちの社会は頼っているんですよ。だから、原発って、必要でしょ?」

と「刷り込み」したり「恩に着せる」ためちゃうんか?

横浜やったら、福島より近所に品川の火力発電所があるやん。

2003年、福島・新潟の東電の原発17基がすべて停止した時、真夏でも停電は

起こらなかったはず。このからくりはどうなってるんだろう?

また、6月から電気料金を上げるという。理由は聞いたけど忘れた。

本来は「ゴメン! めいわくかけて。せめて値下げで気持ちを受け取って下さい」

いうのが、商売人の姿勢ちゃう?

エネルギーと政府とマスメディアは癒着しやすい。まるで三者に静電気が起こって

綿ぼこりが互いに吸い付くように吸い付き合っている。

この事情は日本だけではないことのわかるのが名作ドキュメンタリー

誰が電気自動車を殺したか?』(Who Killed The Electric Car?)(→クリック!)

だ。

このブログで何度も言っているけど、ぼくたちはもう、マスメディアに頼らず、

自分で知識を身につけ、自分自身の原理原則となるプリンシプルを持たないと、

自分や大切な家族の生命を守れない時に来ている。

そのためにも是非、見てみて。

驚くことに、電気自動車は、既に1世紀前、ガソリン車と一緒に街を走っていた

んだって。ところがいったん、ガス車に道を明け渡した。

1996年、電気自動車は復活、ハイウェーを滑らかに走り始めた。LAの破壊的な

スモッグ汚染の救世主になると期待が寄せられた。

ところが、それから10年後、電気自動車は、消えた。

なぜか。

だれが電気自動車を殺したのか?

という話。

トム・ハンクスも出てきます。面白いよ!