日本人にとってドラッカーといえば、書店でよくみかける
一連のあのシリーズだが、結果として
「よくわからない」
「ところどころ、きらりと光るフレーズがあるので読むが、通読は
厳しい」
という声が多い。ぼくもそうだった。ホンネを言えば、「つまらないけど、
賢くなるためには読まなきゃ」といった、教科書的な読み方をする人が
大半なのではないか。眠気をふりはらいながら。
そして、「わからないのは、自分の頭が悪いから」と思いながら。
違うよ。違う。あれは、翻訳書がわからないだけで、ドラッカーの本質ではない。
原書を読むと、全く違ったドラッカーが出現する。
ドラッカーは、いうまでもないが、生まれた時からいまの彼のパーソナルブランド
である「経営学の泰斗」「マネジメントの生みの親」だったわけではなく、
一介の青年ジャーナリストだった。英語が母国語ではない。
ジャーナリストの宿命として、面白い文章と鋭い視点がなければ
生き残っていけない。
つまり、ドラッカーの文章は、魅力的なのである。
それが、無味乾燥な教科書になってしまっているのが日本なのだ。
これは多くの日本人にとって、不幸なことだ。
昨日まで5ヶ月かけて受講生と一緒に読破した『The Effective Executive』は
邦訳書タイトル『経営者の条件』とは全く違う内容だという事が判明した。
敢えてタイトルをつけるとすると、『プロフェッショナル養成ギブス!』
『お荷物社員のあなたもこれでプロフェッショナルになれる!』といった
ものだ。そうすると、装丁からして、全く違うもののほうが真意を
正しく伝えられることになる。
今回の「原書で読むドラッカー(ゲンドラ)」講義をもとに、『The Effective Executive』
の読み方、使い方について電子メディアで出版することに、いま、これを書いていて、
決めました。
さて、昨日朝、原稿書いていたらメール到着のしらせがあり、見てみると、
「いまからでもゲンドラに参加できますか?」という内容。ちょうど一名分
席が空いていたので大歓迎、当日のことなので、メールに記載されていた携帯に
電話して話した。
そうして新しく出会ったOさんは1987年生まれの24歳。イケメン。
京都の大学を中退して上京、歌舞伎町のホストクラブで働いた。
そして「夜の世界はだいたいわかった」ので、今度は昼間の世界を知るために、
起業を狙いつつ、フルコミッションの仕事を探しているという。
いまはインプットの時期なので、本をしっかり読んで勉強しているそうだ。
読んで、読んで、読んだ結果、ドラッカーはやはり本物だと気づいた。
既にドラッカーの原書を持っていた。
ぼくが翻訳したポール・ホーケン『ビジネスを育てる』も読んでくれていて、
感激したとお褒め戴いた。あの本に感銘を受けてくれるのはとても嬉しい。
彼の目の見ると、彼がどれだけものを深く考えているかがはっきりわかる。
終了後の懇親会にも参加してくださったのだが、そこでフェースブックの話に
なった。当然の流れで「やってないの?」と質問したら
「ソーシャルに使う時間を、本を読むために使いたいと思っています」
いいねえ。いいよ。
Oさんのような青年が、世界を変えてくれる、そんな清々しい風に吹かれた。