スピノザ(1632-77)は、言う。

「目的とは衝動のことである」

アムステルダムへ亡命したユダヤ人商人の息子でありながら、

23歳にしてユダヤ教を破門された哲学者スピノザは、過激である。

「われわれをしてあることをなさしめる目的なるものを私は衝動と解する」

普通ぼくたちは、何々したいという目的がまずあって、その達成に励む。

人によるとそれを努力する、という。そして目的のために努力するのは

当然じゃないですか、というかもしれない。

「それ、ちゃうねん」

スピノザは、手を挙げて制する。

「逆やねん。そもそも先に衝動があるねん。その衝動に駆られるからこそ、

ぼくらは目的に向かうねん。せやから、目的に向かうのは当たり前で、

そんなん、努力とは言えへん」

ネットショップの経営者が、サイトの手直しをしているとする。

目的はサイトの売り上げを現在より10%上げることである。

世間的にはシルバーウィークといわれる連休の真っ最中にもかかわらず、

どうしてそんなことしてるんですか? と質問したとしよう。

「そりゃ、売り上げ、上げたいからですやん」

「なんで売り上げ、上げたいんですか?」

「そら、もっと儲けたいからに決まってますやん」

「なんでいま以上に儲けたいんですか?」

「そら君、お金いるやん。子ども、来年大学行くいうてるし、

家のローンもあるし、よめはんはもっとようけ海外へ遊び行きたい

言いよるし、ちょっとここでは言えへん事情もあるがな(照)」

スピノザ、ニンマリ笑って、言う。

「ほら、見てみ。

ネットショップ経営者が売り上げを10%UPさせたいという

目的は、『ちょっとここでは言えへん』という『下半身の衝動』

がもたらしてるやん」

人間は自分を自由な存在と思い、かつ理性的であるからこそ計画や

目的を明確化し、その遂行のために自由に意思決定するものと

思い込んでいる。しかし、要するに衝動が人間を動かしているのであり、

この衝動こそ、人間自身を肯定し、われわれをわれわれとしている

サムシング、つまり、現実&本質であるに他ならない。

大事なのは、「目的とは衝動のこと」だが、「衝動とは目的のこと」とは言えないということ。

この非対称性は重要だ。

なぜなら、衝動はそれ自体、目的とは何の関係もない。

衝動の先にあるものなんて、知ったこっちゃないのである。

空気の粒子が衝動の結果ある一定の動きをしたとき、それは風になったり

台風になったりする。

しかし、空気の粒子が自らの意思でもって、「ではこれから風になりましょう」

「台風になりましょう」「台風は大げさな気分だから、強めの風程度でとどめましょう」

なんていう意図は一切もたない。

結果、風になったり台風になったり強めの風になったりするだけの話である。

商売の話に戻す。

経営者は、あるビジョンのもとに経営している。

「しかし」

と、スピノザは皮肉な笑みを浮かべながら、いう。

「現場見てみ。現場が現実やねん。社長はんのビジョン、

関係ないねん。仮にビジョンが赤い色してたとしても、

現場が青かったら、青やねん。そこ、大事やで」

おそらく2015年9月現在、世界広しといえど、商売人で

スピノザを研究しているのはぼく一人だと思う。

スピノザ哲学に基づく経営論、マーケティング論、そしてブランド論、

なかなか破壊的で、面白くなりそうだ。

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