川は、水が流れている。一瞬たりとも同じ水分子のメンバーは
そこに滞在していない。
しかしぼくたちは川を見て、「川だ」と認識している。
それと同じで、ぼくたちも一瞬たりとも同じではない。
常に変化しつづけている。
生まれたての赤ん坊はかわいい。
這えば立て、立てば歩めの親心、
ヨチヨチ歩き、片言で話すバブバブの頃はとてもかわいい。
そのかわいかった娘がいまは話しかけても返事もしない。
あれほどディズニーランドで楽しんだのに、高校生になったいまは
一緒に外出したがらない。
残念である・・・と考えるのは親の勝手であり、バブバブの頃の赤ちゃんと
いま目の前にいる女子高生とは「まったくの別人」なのだ。
変化しているのだから。
親と娘というのも人間が勝手に作り上げた幻想に過ぎない。
カフェで、コーヒーを持ってきてくれた。
15分同席の人と話しているうちに、コーヒーが冷めてきた。
ふつう、人は、持ってきてくれたばかりのコーヒーのほうが
「おいしい」という前提に立っている。熱いし、淹れたてだからだ。
しかし、持ってきてくれたばかりのコーヒーと15分たったいま目の前に
あるコーヒーとは「まったくの別もの」なのだ。
「いま目の前のコーヒーが一番おいしい」のである。
こう考えると、「美魔女」はしんどい人生哲学の人だと思う。
なぜなら、年齢相応の容貌を否定し、自分の20代なり30代なりの
容貌をベストだと思っているからである。それが人生哲学の根っこに
あるからである。
「いましかない」のだ。
だから年齢でシワが出てきたら、髪が抜けてきたら、歯が抜けたら(笑)、
「それがいい」のである。
美魔女は変化を「decay」(劣化)と捉える。
そうではない。ただ「change」(変化)しただけなのだ。
元に戻さなくていい。
すべてはちょうどいい。
昨日も明日もない。明日になれば今日を昨日と呼ぶだけ。
つまり、「いつもいま」なのである。
いまを愛そう。
「元に戻す」「元に戻したい」と願うことは悩みや不安・不満を
生み出す原因になる。なぜなら、「いまを否定」することだから。
「買ったばかりの革靴に傷がついてしまった。直したい」
これは「元に戻したい」代表的な思いだ。
ぼくならこう考える。
「傷がついたことでオレと靴との歴史が始まった」
工場で大量に作られた製品ならなおさら、「俺印」を
刻めて、良かったと思う。
ヒールアンドトウ(→クリック!)のお得意様は、基本、
こういう考えの人たちだという。
ぼくも、この店で世界にぼくだけの靴を買ったが(イタリアの職人さんが
作ってくれた)、傷がつくのが嬉しい。
それが「オレとこいつ(靴)との歴史」になるから。
すべて変化している。
人も、富士山も、空も、iPhoneも、ペットの猫も犬も、愛車も。
富士山もあんなでかい顔しているが、変化している。
量子論的には、富士山の変化する速度とぼくや猫、iPhoneのような
無機質物体の変化する速度は同じだという。
5万年も経てば平地になっているかもしれない。
あるいはその前に日本列島が海に沈んで、頭の先っちょだけ出して
島になっているかもしれない。
わからない。
顧客の気持ちも変化する。
そして、ブランドがブランドとして成立するのは顧客の気持ちの中
である。
自社ビルにブランドがあるのではない。
ネーミングにブランドがあるのではない。
すべて、顧客の気持ちの中に幻想として成立している。
だから、常にブランドも、変化しつづけなければならない。
しかも顧客は変化を買う。
だから尚更、変化しつづける必要があるのだ。
「元に戻さない」について考えながら
新幹線「新大阪」駅で階段を上っていたらコートのボタンが
プチっと取れて飛んだ。
あわててボタンを拾い、コートの裏打ちボタンと糸を取ってカバンに
しまったのだが、その時、気づいた。
これって、コートが「こうやって着てくれ、それがベストだ」
と言っているのではないかと。
革靴の傷と同じで、コートと俺の歴史が刻まれたわけで。
だからぼくはボタンをつけるのをやめて、このまま着ることにした。
戻さない。