禅の世界で「喫茶去(きっさこ)」のエピソードは有名だ。
去と書くが、go out去るではなく、
一緒に楽しもう、
という意味。
ある禅師のもとに二人の修行僧が来た。
一人は「わたしが先生のもとにおじゃまするのは
これが初めてです」
と言った。
もう一人は「わたしが先生のもとにおじゃまするのは
これで二回目です」
と言った。
禅師は二人とも招じ入れ、
「まあ、お茶でもしよう(Shall we have a break?)」
と言った。
それを見ていた寺の院主(いんじゅ。寺のあるじ)が
「老師、どうして初めて来た人と、
二回目の人とを同等扱いするのですか?」
と質問した。不思議やったんやね。
老師答えていわく、
「それが喫茶去なのじゃ」
と。何のこっちゃ(笑)
いろいろ解釈あるが、ぼくはこうとらえている。
訪問してきた修行僧二人とも、
はるばる老師と禅問答をするために
旅をしてやってきた。
今回二回目の客も、
今日この瞬間は初めてなのだ。
人生に時間は存在しない。
時間は人間が作り出したフィクションに過ぎない。
あえて言うなら、時間とは瞬間のつながりだ。
その意味で
いつも初
なのである。
初めて来たときと、今日二回目のこのときとは、
修行僧は別人になっている。
だから常に新鮮な議論ができるだろう。
そして、お茶を共に楽しむことで、
さらに議論は楽しくなるだろう。
何も堅苦しい場所で格式ばって
議論するばかりが修行ではない。
お茶を楽しみながら
笑顔で話せば、JOYもWOWもLOVEもFUNも
生まれようというもの。