18日。
その日のスケジュールはこんな感じ。
朝6時過ぎの新幹線で新大阪から新横浜へ
午前中 クライアントさんミーティング 横浜
ちょっとJOYWOWオフィスに立ち寄って
午後 クライアントさんミーティング 東京
夜のうちに品川から名古屋へ移動 ホテルへ投宿
そのあと、名古屋で2日(19日、20日)、クライアントさんコンサルティング。
朝4時30分に起きたときからなんだか様子がヘンだった。
しかしまあ、朝早く起きたことからくる違和感なんだろうと思い、そのまま迎えのタクシーに
乗り、新幹線へ。
車中、まずコートを脱ぐ気になれず、しばらくそのままでいたが、どう考えてもおかしいので
コートを脱ぐも、何をやる気にもならず。そうそうこれから東京に行くのならお財布ケータイに
入金チャージしておかなきゃとimodeをいじるがパスワードが出てこない。
おっかしいなあ、というのがその日のブログ「パスワードは電気羊の夢を見るか」。
本を読む気も、ブログ書く気も、フェースブック更新もやる気がでない。
絞り出すように書いたのが「パスワード・・・」。
熱?
そのうちお腹が強烈に痛み出した。稲妻が何本も走る。
それでも何とか午前中のミーティングを済ませ、ランチをご一緒にとお声がけ
いただいたが、どうにも元気が出ないので遠慮申し上げ、あらゆる尺度から考え
「これはおかしい」と思い、JOYWOW近所にあってうちのメンバーもお世話に
なっており、ぼくも一度だけ皮膚の相談でお世話になったことのあるクリニック
へ行った。
その段階で、午後のクライアントさんには電話で事情を説明し、ミーティングの
キャンセルをご快諾戴いた。本当に申し訳ないことをした
(プロジェクトメンバーの皆さんからは温かいお見舞いの
言葉をフェースブックグループ内でかけてくださっている。感謝)。
医師は速攻で仕事をストップするように指示。診断は「腸炎」。
ぼくの口からすぐ出た言葉は
「で、先生、いつ治りますか?」(ぼくは夕方には治るくらいに思っていた)
医師は苦笑しながら
「申し訳ないが、今日の午後のミーティングはキャンセル
してください。それで、治るまで3日はかかります。はじめパーッと熱が
出ますが、その後楽になります」
おそらく前日の夜食べたカルパッチョかと思ったが、普段なら大丈夫なのに
疲れがたまっていたからなんだろう。
点滴を2時間半打ち、その間、ぐっすり寝ていた。点滴打つと、寒くなるね。
ひたすら寒がりながら寝ていた。スーツ姿で点滴打つなんて、若い頃(1984年)、
広島で飲み過ぎて二日酔いを治すために点滴打ってもらって以来だ。
看護士さんにそういう軽口を飛ばしたが、ぼくの今日これからの予定を
聞くと「すさまじいスケジュール!」と目を丸くした。
そうなんだ、「すさまじい」んだ、とその時初めて思った。
ぼくにとっては「普通」だったから。
さてそれからが大変。
いったん「あなたは病人です」と言われると病人になるから不思議。
処方箋薬局までスーツケースをガラガラさせて歩くのもやっと。
薬局のドアを開けるのがひたすら重く感じられる。
病人には移動がひたすらきつかったが(特に菊名から新横浜へ行く
横浜線の混みよう! 一電車やりすごした)、
それでも何とかして名古屋まで到着。
定宿の名古屋観光ホテルに着くと自宅に戻った気分でホッとした。
部屋に案内してくれたホテルスタッフに事情を説明し、ルームサービスで
おかゆは作ってもらえまいかと頼んだらこころよくオッケー。
それからはその日の夕食、翌日の朝食、夕食、朝食、すべておかゆ。
青息吐息という感じで昨夜遅く、大阪の自宅へ戻った。
そして今朝起床したら万全ではないが、何とか体調は復調している。
しかし、明日はMAIDO-internationalだ。今日は一日、仕事もネットも控えて、
ひたすら休もうと思う。医師の診断通り、やはり3日かかったね。
読書も仕事がらみではなく、写真の本にしよう。外は寒そうな天気だから、
せめて家の中だけでも夏休みに。
MAIDOのメンバーとの約束「毎日ブログを更新する」が2日途絶えた理由が、
これです。
その間、ご迷惑をおかけしたクライアントの皆さんにはこころからお詫び申し上げます。
ご迷惑をおかけしたにもかかわらず、メールやフェースブックグループで温かい
お言葉を戴いて、感謝しています。
3日間ビールを飲んでない。生涯初めてである。ありがたくない初体験!