必要なのは、改善ではない。
答えですらない。
正しく立てられた問いだ。
たとえば、あなたのネットショップのサイト。
「どう改善しようか?」
というのは正しくない。
正しくは
「サイトがあなたの世界観とテイストが同じか?」
だ。
あなたのファッションと、ウェブサイトは同じファッションだろうか。
つまり、あなたは世界観を問われたら、何がしか答えるはずだ。
それと、いま、あなたが身につけているファッションとは同じだろうか?
その人がどんな人か知りたければ、預金通帳を見れば素顔が見える。
その企業の戦略を知りたければ、行動を見ればいい。
同じで、その人の世界観を見たければ、ファッションを見ればいい。
ウェブサイトはその世界観をカタチにしているだろうか?
ウェブサイトが人だったら、あなたと同じファッションに身を包んでいるだろうか?
技術的なものは二の次だ。
テイスト、世界観、ファッション。
多くの企業、特に大企業は、改善や解答は得意だ。
しかし、問いを立てるのは、極めて苦手で、担当部門さえ、存在しない。
あるヒット商品が出た。
ヒットのおかげで担当者は出世した。
ヒット商品の寿命は、その会社と担当者にとって幸運なことに、20年以上あった。
担当者は晴れて役員になった。
組織の文法はどうなるか?
「そのヒット商品を守るにはどうすればいいか?」
という問いの答えに日々取り組むようになる。
しかし、組織の外では、そのヒット商品の寿命は既に尽きている。
商品寿命は組織の外と中では「時差」があるのが通例だ。
「そもそもこのヒット商品って、もはやヒット商品でも何でもなくね?」
という「王様はハダカだ!」と叫ぶ少年は、組織の中には存在しないのである。
いや。
いたとしても、存在できなくなる。
怖いことだ。