なければ、つくる

ダイハツミゼット(映画Alwaysで鈴木オート社長が乗っていた)

「阪本さん、たしかにそうなんですが、うちの業界は特殊なんです」

こういうとき、かすかに嬉しそうなにおいがする(笑)。

「法律で縛られていて・・・」

「だったら法律、改正しちゃえばいいんじゃないですか?

新しく作るとか」

「それはちょっと・・・(苦笑)」

太陽工業(→)のコア・アイデアは「膜構造」である。

遥か昔、1953年ごろ、ダイハツミゼットのテントを提供していた。

ダイハツミゼット(映画Alwaysで鈴木オート社長が乗っていた)

ダイハツミゼット(映画Alwaysで鈴木オート社長が乗っていた)

テント=膜ひとすじ。

1970年大阪万博ではアメリカ館、富士グループパビリオンの膜構造

建築物を作った。当時の建築基準法では膜構造物についての法令はなかった。

建設省(当時)も困ったが、まあ、万博会場内は治外法権ということで

許可が出た。

アメリカ館(月の石!)

アメリカ館(月の石!)

困ったのはその15年後、東京ドームを建設する時だ。

建築基準法がなければ保険も出ない。

「万が一」事故でも起これば太陽工業一社にすべてかかってくる。

これはたまらない。

「なければつくる」のが太陽工業の姿勢だ。

建設省を巻き込み、建築学会のバックアップももらって、膜構造物に

関する法律を作った。

ハーレーダビッドソンは「いけてるパパのライフスタイル」にするため、

奥さんと2人乗りで高速をぶっ飛ばすスタイルが必須と考えた。

ところが当時の日本の法律(道交法)では「二輪車の高速2人乗りは違反」だった。

ならばとアメリカ国務省から日本政府への「外圧」を仕掛けた。

他にも不具合があった法律改正を合計3点、1996年から2005年まで9年かけて

実現した。

なければ、つくればいいのだ。

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • 太陽工業の技術研究所のパンフレットを今制作中です。
    今や大阪が生んだ世界のオンリーワン企業ですね。
    行きたい場所が明確で思いが強ければ必ず到達するっちゅうことですな。
    「あかんのんちゃうか」という途中の不安は、昨日いただいた魔法の言葉「気のせいや」で払拭して前へ進めます。
    「ありがたや節(KAJAの方)」があたまのなかで鳴ってます。
    http://www.youtube.com/watch?v=4Hp9j8rgcm4

    • 太陽工業さんの件は、『スローなビジネスに帰れ』内で、創業社長・能村龍太郎さんの著書を参考に、秘書室(取材時)の協力を得て書きました。旭化成広島時代、「太陽テント」物件にヘーベルを納品させて戴いたり、何かとご縁があります。
      こんちゃん、そうです。すべては「気のせい」なんです(笑)。不安を起点にするのではなく、愛を起点に!

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