ロックが好きなのは、その中に「常識を破れ!」「既成概念をぶっ壊せ!」という
メッセージを感じるからだ。
プラス、そこにやはり、<貧乏>が香るから。 貧乏=渇きだ。
尼崎の文化住宅、木造モルタル二階建ての二階、
四軒つづきのひとつに暮らしていた時、ロックは誠に合った。
風呂もない家で、遮音もないから隣でかかるレコードで吉田拓郎を
知ったし、下の家のテレビがサザエさんの音楽が聞こえてきたら
夜6時半なんだな、と時報代わりだった。
齋藤孝さんの傑作『<貧乏>のススメ』(ミシマ社)によると、
<貧乏>体験は人を豊かにするという。引用する(p.1)。
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私が人を見るとき、一つの基準がある。それは、その人の中に<貧乏>が
あるかどうかだ。<貧乏>というのは、文字通りの貧乏体験をしたということ
だけではない。貧乏時代にこそ骨身にしみて習得できる「体験を深くする技」
(貧乏を力に変える技)をもっているかということも含まれる。あるいは、
貧乏体験が一度もなくても、貧乏の良さ、苦しさを感じる人情味があれば、
その人の中に<貧乏>があるともいえる。
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この本の中に、「体験を石油化する」という表現があって、いいなあ。
お金がなくて、あるいは、貧乏であることを人からバカにされて悔しい思い
をした体験を石油化して、自分の中の「ため」にしておくのだ。ためて、打つ。
尼崎時代は周囲もみんな同じようなものだったのが、池田の高校へ行くと
周囲はみんなブルジョワ(まさにそんな表現がぴったりだった!)ばかりで、
お金の苦労がない。簡単に「(沖縄の)海洋博、行こうか」とお誘い合わせ
するくらいなんだから。うちは一度Z会に電話しただけでオカンに、
「静岡なんか電話して! ナンボかかる思てんねん! 東京より遠いねんで!」
と叱られたくらいなのに(昔もいまも女性は地理に弱い)。
父兄参観の時「さかもとの親って、どんなんなんや?」
「フフフ」
「ハハハ」
と嘲笑された。同じクラスの、普段は仲良くしているともだちからだ。
この時、ぼくははっきり「世間」というものを知った。
「世間」は、存在する。一つまちがえたら自分に牙を剝く。
この体験の石油化が、いまのぼくの原動力になっている。
進学校だったが、学んだのは、勉強よりこの体験だね。
貧乏であることは恥ずかしいことでも何でもない。
その体験は、石油化して、いつかきっとあなたを支えてくれる。
これをぼくは「貧乏力」と呼ぼう。