大阪は水都と呼ばれるだけあって、川が美しい。
JOYWOW近くを流れる大川は、江戸時代、物流の中心だった。
各藩の蔵が並んでいた。
川があれば、橋がある。必要だ。
江戸時代、大阪には200の橋があった。
そのうち188は商人が自費でかけた。
幕府がかけたのはわずか12。
江戸時代末期は商人(あきんど)のほうがちょっとした藩より財政的に豊かだったこと
もあるが、商人の矜持だろう。
商売にいるもんやさかい、お上なんかに頼りまへん。
お上にいうたら、また、なんやかやクチバシ突っ込まれるさかいに、
自分でやったほうがよろし。
商人は、本来、こうありたい。
時代はどうなるかわからない。
明日、経済システムが破綻してしまうかもしれない。
『進撃の巨人』ではないが、「大事なことは、知らされない」。
これは歴史をふりかえっても、真実だ。
しかし。
何が起ころうが、商人の責任は、
・店を開けること
・社会を明るく照らすこと
・お客さんにJOY+WOW+LOVE and FUNを持ち帰ってもらうこと
だ。
これは、社会がどうなっても、変わらない。
(太平洋)戦中・戦後の焼け野原における商人の行動を小説や記録で読むに、
ぼくたちの先輩商人たちは自分も食うや食わずだったり、
身内が被害にあったりしていたとしても、この三本柱
・店を開けること
・社会を明るく照らすこと
・お客さんにJOY+WOW+LOVE and FUNを持ち帰ってもらうこと
を実行していた。
そう、明日世界が終わるとしても、ぼくはりんごの木を植える。
商人は、次代の子どもたちに、そんな責任を負っている。