人生は反応である。

何かの対象へ

好きだと反応したり

嫌いだと反応したり

怖いと反応したり

美味しいと反応したり

ざらつく! と反応したり

ではその反応はだれがしているのか。

このブログを読んでくれているのは誰か。

いやいやそれはわたしでしょう、あなたはそう言う。

違うのだ。

あなたは確かにブログを読んでいる。

そして内容に対して共感したり反論を思いついたり反応している。

でも反応しているのはあなたではなく、正確に言うとあなたの環世界が反応しているのである。

あなたではないということはあなたの脳でもないということだ。

環世界? カンセカイ? なんじゃそりゃ?

ぼくたちを取り巻く世界はぼくたちが認識する知覚によってできている。

知覚によって周囲にある諸物に意味を与えている。これが反応だ。

つまり、意味(反応)の集合体がぼくたちにとっての世界である。

これをヤーコブ・フォン・ユクスキュル(エストニア生まれ、ドイツの

生物学者、ハンブルク大学名誉教授、1864-1944)は

「環世界(Umwelt)」

と呼ぶ。

対して、ぼくたちの外側に単に存在しているものの集合体は

「環境(Umgebung)」。

新婚のサトシとさとみが新居の同じ部屋にいたとして、二人にとって「環境」は

同じである。しかし、「環世界」は違う。サトシとさとみが「環境」を構成する

要素のどれに意味づけ(反応)するかは各人の(違う)環世界のなせる技だからである。

そう思うと、結婚生活とは、違う環世界のチューニングの営みと言っていい。

風呂と晩御飯、どっちが先?

朝はごはん? トースト?

室温の適温は25℃? それとも28℃?

生まれてからこのかた、生きてきた反応の積み重ねが各人の環世界を形成している。

若い二人はまだそのチューニングに時間をたっぷり取ることができる。

これが新郎58歳、新婦55歳となるとやっかいである。

環世界、互いにガッチガチである(笑)

恋が離陸したばかりで水平飛行になる前なら、「燃える下心」で環世界の

ミスマッチは大目に見ることができる。

しかし、恋も水平飛行になり、シートベルトどころかパンツも外してしまうと

話は変わる。

同じ部屋、つまり同じ環境に住むようになると

「環境同じなのに環世界が違う」

点で互いにざらつき始める。

ユクスキュルが実施した有名な実験がある。

ミツバチが出かけている間、2メートル巣箱を移動しておく。

外出から帰ってきたミツバチは、外出時巣箱があったけれども今はない場所へ戻ってくる。

ざっと5分くらい「どこや? わしらの家、どこいった?」と悩んだ後、

ようやく移動した巣箱へ戻る。

次に、たいへん申し訳ないのだけど、ミツバチの触角を全部取ってしまう。すまない。

外出したすきに、同じように巣箱を2メートル移動する。

すると、ミツバチはきちんと移動した結果の巣箱に戻ってくる。

これからわかるのは、ミツバチは触角の記憶で環世界を形成しているということである。

視覚より、触角の記憶が優先されるのだ。

次に登場するのはニワトリである。

彼女の大事なひよこちゃんを、透明なドームの中に入れる。

外からはひよこの姿は見えるが、鳴き声ぴよぴよは聞こえない。

するとニワトリはひよこの存在に気づかない。

次に、ひよこちゃんをドームから出して衝立の向こうに放つ。

にわとりにはひよこの鳴き声ぴよぴよは聞こえるが、姿は見えない。

にわとりは、ひよこがどこにいるのか探し始める。

つまりにわとりは、聴覚で環世界を形成しているのである。

この、

確かに存在しているのに見えていない

ことから、環世界が反応しているのだ、という証左になる。

「うちの業界はとにかく安値攻勢がひどくてね。ちょっとでも目を離すと、

ヨコから持ってかれちゃう」

などという「業界あるある」は眉つばモノだということが、これでわかる。

また、ジモッティー、地元が大好きで、外に一切出ようとしない精神的ひきこもり

の環世界が限定的だというのも理解できるだろう。

日本史上最も有名な元祖ひきこもり、『方丈記』鴨長明の環世界はめっちゃ狭かった。

彼は文章は達人だが、世界の狭いこと、『方丈記』を読めばすぐわかる。

ただ、人間にとって幸いで、あらゆる生物の中で人間だけに特権として与えられて

いるのが、

環世界の更新

をできる、ということだ。

一部、極めて限定的だが、ペットたち、たとえば犬とか猫は「しつけ」という

名前で環世界の更新がなされる。

「ほら、トイレはここですよ。ほかでやっちゃダメよ」

というように。

ボケ老人の「ボケ」は、「環世界の劣化」である。

「さかもとさん、ここはトイレじゃないですよ。パンツ脱がないで、あ、おしっこ

しちゃだめ!」

と注意されても、いくら言われてもまたしてしまうのは、本人が悪いのではない。

環世界が故障してしまっただけなのである。

サラリーマンの環世界は極めて限定的だという理由もこれでわかる。

これについては現在準備中の新しい企画に譲ろう。

商売上手は、環世界の更新上手。

ではどうすればいいか。

自分がお客さんになり、「ん?」とか「なんじゃ? いまの対応」

と負の感情が沸いたとき、そういうときこそ、怒る前に

「これは環世界の更新のチャンスや!」と喜ぶのだ。

ありゃ。長くなった。疲れたので、このへんで。

大阪人の環世界を形成するアイコンの一つ

大阪人の環世界を形成するアイコンの一つ